紙ヒコーキ

年下攻め若干多めのBL小説サイトです。毎週日・火・木曜日更新です。現在は大学生モノを連載中ですが、今後は軍事モノにも手を出す予定・・・。耽美な雰囲気と文章力向上をめざし日々精進です。

【2-3】君が大人になる前に

それからは物事がスムーズに進むようになった。訓練もエリオットが言うようにあれからすぐに慣れてきて、レイフにも褒められるようになった。

「今日、隊長に褒めてもらえたよ。最近調子いいなって」
「よかったじゃない」
「…セシリーのおかげだ」

そういって彼女の裸を抱きしめる。彼女の肌は吸い付くようになめらかでいつまでも触っていたくなる。

「ねえセシリー、今度映画を見に行かない?オレ、観たい映画があるんだ」
「…映画は部屋でくつろぎながら観たいの。私、映画館のような箱は嫌いで」
「…そう。仕方ないね」

納得出来なくても、セシリーの前では飲み込むしかない。彼女はウィルよりずっと大人で理性的だ。ウィルはいつも物分りのいいふりをしながら、彼女にとって一番の理解者であり続けようとした。だから彼女の趣味である読書はもはや自分の生活の一部にもなっていたし、時々最近読んだ本の話をすることも多くなった。また彼女は音楽にも造詣が深く、たびたび休日にウィルを連れ出してはオペラを聞きにいくのだった。これはウィルにとっては苦行だった。聞くのならばピアノジャズやオーケストラの方がいいと思ってはいたが、終演後彼女の選ぶ美しい言葉で告げられる感想を聞くのが好きで付き合っていただけだ。

「…ウィル、あなたはもっと若い人と恋をするべきよ」

時折口走るその言葉が、一番聞きたくなかった。

「どうして?」
「…あなたは私と一緒にいるべきではないわ」

いつもと同じ応酬を繰り返す。それでもその先は、ウィルの口が塞いでしまうから聞けないでいた。いや、その先を聞くのが怖いのかもしれない。
ウィルはこの頃いつも、自我のひとつ手前の層で意識が動いているように感じていた。それでも、それ以上に踏み込もうと思えない、甘い毒にかかって思考が停止していく。言葉がすべて、深い思慮なしに放たれる感覚だった。だがウィルは、それをひとつ大人になったのだと思い込んでいた。大人になったことでいちいち考え込むことなく、言葉が出て来るのだと。それがどういうことなのかは、深く考えることもなく。
彼女の肌に幾度とキスを落とすウィルは、部屋の外でしとしとと降り続く雨にも気が付かなかった。

 


翌日の午後は、訓練域を使った実地演習の予定だった。しかし昨晩から降り続いた雨のせいで訓練域に土砂崩れが発生。みなで会議室に待機し、レイフと司令本部の判断を待っていた。

「ウィル、彼女とはどうだ?」
「ええ、普通にやってます」

そういうと一瞬エリオットは目を細めてから笑った。

「そうか、そんなにうまくいくなんて俺も思ってなかったよ」
「オレもです」
「お前も少しずつ大人になっていくのかねえ」
「いいえ、まだまだ」
「みんな、待たせたな」

ウィルの言葉を遮るようにして会議室のドアが開き、レイフが入ってきた。会議室内に一瞬緊張が走る。

「今日の実地演習は中止だ。この先雨も降り続くようだから、室内トレーニングに切り替える。先にトレーニングルームBへ各自移動しておいてくれ。俺は後でいく」

それだけ早口で言うとレイフは足早に会議室を出て行ってしまった。みんなが一斉に話し出す中、ウィルだけは会議室を飛び出した。

「ベックフォード隊長!」
「…ウィルか」

ウィルはレイフを呼び止める。エリオットはウィルの後を追って来たが、廊下の曲がり角で聞き耳を立てることにした。

「どうして今日の演習中止なんです!実際はこういうときもあるでしょう!」
「思ったより土砂崩れが酷いんだ。このまま演習を行ったら犠牲者が出かねない」
「ですが、こういうときこそそのような訓練をするチャンスなのではないですか!?」

ウィルは食い下がる。レイフは急いでいるようで、少しずつそれが顔に出て来ていた。

「…お前はどれくらいの確率でこんなひどい雨の日のテロがあると思ってるんだ?しかもわざわざあんな林間で、土砂崩れが起きている状況下で。それをよく考えろ。そんな万が一の可能性に対して隊員を失うようなリスクを負うつもりはない」

レイフにしては強い口調でウィルに言い切った。ウィルは押し黙る。

「いいから早く、トレーニングルームへ移動しろ」

レイフはそれだけ言ってウィルに背を向けた。大股で歩いていくところを見ると、何か他の事件が起きているのだろう。

「くそ…!」

ウィルが舌打ちをする。エリオットは声を掛けるのをやめて、一人先にトレーニングルームへ向かった。

 

 

「セシリー、今日行ってもいい?仕事で嫌なことがあったんだ」
”ダメよ、いきなりは無理って前も言ったじゃない”

ウィルは白い息を虚空に吐いた。冬の街は一層華やかだが、一人には堪える。早くセシリーの温かい肌に包まれたかった。

「どうして。少しでいいんだ、君の顔が見たい」

そういいながらふと前を見ると物陰で電話をしているセシリーを遠くに見つけた。ウィルは息を飲んだ。こんなところで会えるなんて嬉しいハプニングだ。ウィルは驚かしてやろうとわざとセシリーの視界から外れるように遠回りして歩いた。

”ダメなの。いま外にいるから”
「なら家で待ってるよ、それでもダメ?」

ウィルは内心楽しくなってわざとごねた。そうしながら少しずつ近づいていく。

”ダメよ、…あ、電話を切るわ。じゃあまた、次の金曜日ね”
「えっ、ちょっと!」

ウィルは慌てて顔を上げ、セシリーの方を見た。細身で背の高い男が、セシリーの腰に手を回しているのが見える。
その瞬間、ウィルは悟った。自分が不倫相手だったのだと。自分との恋は遊びだったのだと。
自分のような若い男より、いまセシリーの隣にいる中年の、風格と余裕のある男こそが彼女の隣にいるべきだったのだ。自分はずっとただの片思いだった。
彼女の左手薬指には見慣れないリングが光っている。
電話を切ってそのままなにも考えないようイヤホンを耳に押し込んだ。そしてよく聞くロックの音量をいつもより上げて流す。

「くそ…!」

部屋に着く頃にはその頬はぐっしょり濡れていた。内側から悲しみとも憎しみとも形容出来ない感情が次から次へと湧き上がって来る。
ウィルはそのままベッドに潜り、歯を食いしばって泣いた。