【2-5】君が大人になる前に
ウィルがT-SATに来た秋から一年が経った。
レイフはデスクに向かいながらウィルの最新の成績情報をパソコンで眺めながら思う。
いつからか、ウィルは達観した風な様子になった。それはレイフだけがそう感じているのか、それとも周りもそう思っているのか、定かではない。
ここ半年ほどは狙撃の訓練をエリオットに任せてやらせていたこともあって、関わることが少なかったというのもある。
部隊での演習でも新しくミラチームに入った新人の育成がメインだったし、ここ数ヶ月はずっと医療チームと合同で進めていたプロジェクトのせいでなかなかウィルの訓練を見ることが出来なかった。エリオットからの報告は受けていたし、たまに出動したときに着実に腕を上げているのはみていたから気にしていなかったのだろう。
この一年の間に、彼を変容させる大きな何かがあったことは間違いなかった。
改めてこんなことを考えたのは、司令部からウィルの様子を聞かれたからだ。
アンタレスチームのキャプテン補佐が長期入院の必要な病で床に伏せ、代わりの人材を探したいというのが主な目的だった。そこでウィルの名前が挙がった。
T-SATは完全に実力主義だ。実力さえあれば年齢や在籍年数は関係ない。レグルスでは一隊員として動いているが、その優秀な成績や部隊の若返りを図る意図もあって、リゲルチームのキャプテン補佐にウィルという選択肢が生まれたようだ。
「ウィル、ちょっとこの後時間あるか?」
ロッカールームで一人靴を磨いているウィルに声をかけた。ロッカールームには他にメンバーはいない。訓練も終わって少し経つから当然だろう。しかも今日はオフ前日だ。
「ええ」
こんな風に、いつのまにか落ち着いた様子で答えるようになった。
「最近、なんかあったか?」
あの日もそう、オフが開けたその日にレイフのところへきて謝ってきた。あのときは司令部の上部と話し合いが混戦で苛立っていたからレイフの方から当たったのを謝ろうとしたのに先に頭を下げられてしまった。生意気な口をきいて本当にすいませんでした、とみんなの前で頭を下げたのにはこちらが面食らってしまったほどだ。
「いえ、特には」
ウィルの空気が一瞬だけ変わった。だがそれもすぐに引っ込めて、にこりと武装笑顔で笑って見せる。
「…そうか。このあと、ちょっと飯でも食いながら話そうか」
「わかりました。エリオットさんに教えてもらった肉のうまい店、予約とってみます」
「あ、ああ、ありがとう」
「もう終会は終わったんです?」
訓練終わりに各部隊のキャプテンが集まって一日の反省をする会議のことを終会と呼んでいる。
「それは終わった。あとは着替えるだけだ」
「なら下に車出して待ってますね」
そういうとさらりとレイフの横をすり抜けてロッカールームを出て行ってしまった。
無音のロッカールームに一人だけ取り残されて、レイフは心許なさを感じる。いままでウィルはあんなのだっただろうか?もっとやんちゃで、自分の思ったことはすべてぶつけてきて、精一杯背伸びをして…そんな男じゃなかったか。いまみたいに余裕があって、言われるより先に店を提案して予約を取ってしまうような男だったはずがなかった。
それが悪いとは言わない。ただ、いつもこちらに伸ばされていた手が、もうこちらに伸ばされることがないのだと思うと酷く虚しくなるのだった。
「遅くなって悪かった」
「いえ、退屈してません」
途中でオズウェルに話しかけられ、断ることもできず少し立ち話をしてしまった。車に凭れて本を読んでいたウィルは、さっと本をしまってドアを開けた。レイフはその様子に慣れなくて戸惑ってしまう。促されるまま助手席に乗り込んだ。
「ここから20分くらいかかりますが、いいですか?」
「ああ、大丈夫だ。時間はたっぷりある」
ウィルは運転席に乗り込んでエンジンをかけ、シートベルトを締めた。
「明日オフですからね。なにか聴きたい曲ありますか?」
「あ、いや、お前の趣味でいい」
そういうとウィルが小さく息を吐いてから曲のセレクトにかかった。流れ出したのはガラに似合わずクラッシック。
「こういうのが好きなのか?」
「ええ。ある人の影響で聴くようになりました。その人はオペラのが好きだったので
対抗するつもりで聴いてたんですが、そのうちに好きになりまして」
「…そうか。昔のロックしか聴かない俺には縁遠い話だな」
なんとなくぎこちない空気が漂う。
ウィルはそれに気づいていないのか、はたまた気づいていて気づかないふりをしているのか。
それからはあまり会話もなく店に着いた。
「飲んでいいですよ、お酒」
「いや、お前が飲めないのに悪い」
エリオットに聞いたという店はなかなか落ち着いたしっとりとした小料理屋だった。
テーブルはぬくもりを感じる木目で、ひかれたテーブルクロスも手で縫ったものらしい。
「車でなくても飲みませんよ。アルコールは得意ではありません」
「…なら、少しだけ頂くよ」
正直素面でこんなウィルと向き合える気がしなかった。
メニューを見ているウィルの伏せた瞼に大人の色香が漂う。
「決まりました?」
「シチューにするよ」
最初に白ワインを頼もう。そしてそれを飲んでから本題に入るのが最良だろう。店員に注文を告げるウィルを見つめながらレイフはそんなことを考えていた。
「それで。オレに話があるのでしょう?隊長」
グラスの底に残った白ワインを煽ったタイミングで、見計らったようにウィルが尋ねて来た。レイフは意を決して切り出す。
「その、…まあ最近お前の成績が伸びてるから、それで任せたいことなんかもあってだな…」
「ミハエルさんの代わりですか?」
「…あ、ああ。まあ、単刀直入にいうと、そうだな…」
「もし他に希望者がいなかったら、オレにやらせてください」
レイフが言葉をどれだけ濁しても、澄んだ声でいつもはっきり告げられる。
「…わかった」
いまやウィルは、”レイフに引き抜かれた元陸軍”ではない。”T-SATのエーススナイパー”と呼ばれるほどに成長した。エリオットと並んでエーススナイパーの名を語れる唯一の人間だ。勿論司令部から言ってきたことだ、NOとは言われないだろう。
「決定はいつです?」
「…遅くても来週末だ」
「…そうですか。隊長、少しばかり腹を割って話しませんか?オレがリゲルに行ってしまう前に」
それは驕りや傲慢ではない、自分の実力をしっかりとわかっているのだろう。だからこそ、このことがさっき、決定事項になったことも理解しているのだ。
「そうだな、たまにはそういうのも良さそうだ」
正直何を話していいのかわからない。このときばかりは向かいで飄々と水を飲むウィルを恨めしく思った。
「…最近、あなたと話すことがなかったからいつかこんな機会があればいいと思ってました」
あなたなんて呼ばれたことは今までなかった。ずっといままで、ウィルが変わり続けてきたそばにいられなかった自分が嫌になる。このウィルの変容は幸せなことが原因ではないように思えたからだ。
「じゃあ少しオレの話を聞いてください。ちょうど一年くらい前ですね。オレがあなたと初めて衝突したのは。あのときは本当に未熟で、いま思い出しても恥ずかしい限りです。オレがあなたを再び心から慕うようになったのは、この間の事件の時からです」
そんな切り口で始まったのは、三か月前の事件のことだった。