紙ヒコーキ

年下攻め若干多めのBL小説サイトです。毎週日・火・木曜日更新です。現在は大学生モノを連載中ですが、今後は軍事モノにも手を出す予定・・・。耽美な雰囲気と文章力向上をめざし日々精進です。

【1】フレイム 2002.1.24~2002.1.28(1998.4.10) -Piers side-

 

春は夜明け。夏は夜。秋は夕暮れ。冬は早朝。
日本の昔の詩人がそんな風に”一日の最もいい時間”を表現していると教えてくれたのはクレイグだった。だが、夕暮れが美しいのは、秋だけではないとピアーズは思う。

ピアーズはマフラーに顔を埋めて空を見上げた。クレイグと待ち合わせした図書館へ、もうすぐで着いてしまう。
クレイグを待たせているのは申し訳ないが、彼なら時間を潰すのに苦労はしないだろう。どんな難解な医学書でも好き嫌いせず目を通すから、いつか図書館の医学書をすべて脳みそにインプットしつくしてしまうのではないかとひそかに心配しているくらいだ。


ピアーズは近くにあったベンチに腰掛けた。もう少しこの絵画のような景色を見ていたい。


ピアーズらの通う大学は総合大学としてはそれなりに有名で、敷地も広く、いくつもの学科棟が一つの敷地に敷き詰められるようにして建っている。広いせいで移動が大変であることは、毎年行われる学生アンケートの結果からもよくわかるが、ピアーズはそんな干渉しあわないけれど同じ敷地内にある異色のものたちが馴染む空気感が好きだった。
図書館と医学科棟の間にあるこの中庭はクレイグとの待ち合わせでよく使っている。クレイグの過ごす医学科棟と、ピアーズが過ごす建築学科棟は間に図書館を隔てており、喜ぶべきかそう遠くない距離にあるのだった。しかも医学科棟側の中庭には、高い丘の上にあるという大学の立地を生かしていい景色を眺めながらくつろげるようオープンカフェ式にベンチを配置しており、だれでも使えるようにフリースペースを設けてある。ピアーズはそこがお気に入りだった。


ベンチに腰掛けた姿勢のまま、沈みゆく夕陽をまっすぐ見つめる。そしてピアーズは小さくため息をついた。なんとなく懐かしい気持ちに襲われる。幼い頃こんな時間になっても遊んでいたことがあったのだろう。だがそのときとは確実に、何か違う。それが何なのかはわからない。しかも何かが、欠けているような気がする。あの時代に置いてきたものなのだろうか、しかしそれが酷く恋しい。

「なに黄昏てんだ」
後ろから声をかけてきたのはクレイグだった。暗い色のニットに革のジャケットを羽織ったその出で立ちは、186cmという高い身長もあってさながらモデルのようだ。ピアーズはここにいるはずのない男に疑問を投げかけた。
「お前図書館にいたんじゃないの?」
「水買いに来たら見慣れた背中があるなと思って」
確かに彼の手にはペットボトルがある。ピアーズの隣に、クレイグもゆっくりと腰を下ろした。そして少しだけ、心地よい沈黙が落ちる。
「カメラ持ってくりゃ良かった」
そういってクレイグは指でカメラのフレームを作った。その横顔が眩しい。クレイグは時折カメラを持ってふらりと何処かへ行ってしまう。趣味なのかと問うと趣味と言うほどでもないというが、それはクレイグなりの照れ隠しなのだとピアーズは思う。勿論隠すような趣味だとも思わないけれど。
「荷物置いて来たのか?」
「ああ。シェリルに見張りは任せて来たよ」
「ふうん。…ならもう少しここにいたい」
「気が済むまでどうぞ」
そういって優しく笑いかけてくれるクレイグの表情を見た。
自分がさっきまで足りないと思っていたものは、昔に置き忘れた冒険のわくわく感や、未知への驚きでも何でもない。きっとこの笑顔と温もりだ。


どうしてこうも、この男は自分に優しくするのだろう。底無し沼のように、ピアーズのわがままを受け入れてくれる。だがその反面、どこか影を持っていて、高校の頃から一緒にいたけれどそれを明るみに出して溶かしてやることがいつになっても出来ない。ピアーズは時折に、それをジレンマに感じる。


横目で、ちらりとクレイグの様子をうかがう。クレイグは目を閉じて、静かにこの空気と瞼を照らす夕日の色を楽しんでいるようだ。ピアーズの胸が締まる。


いつからこの男に恋をしていたのだろう。自分でも、よくわからない。しかし、気づいたらいつも目で追っていた。こうして会えるときを、女々しくも毎回楽しみにしていた。クレイグは出会った時から勤勉で、一緒に勉強をしようというと必ずや時間を空けていてくれる。勿論ピアーズが勉学に励む要素はほかにいくつもあったけれど、クレイグと過ごす時間を勉学の糧にしているといって神の叱りを受けようとも、一向にかまわないくらいだった。

 

「ピアーズ?大丈夫か」
どのくらいそうしていただろうか。夕陽は殆ど沈んでしまって、空も紫に染まり始めている。
「…ああ。ごめん、そろそろ時間?」
「全然。まだいてもいいけど」
「いや、いいよ。行こう」
ピアーズはクレイグより先に立ち上がり、すぐに歩き出した。


ちらりと見た腕時計は16:23を指している。毎週水曜日は16時から図書館と約束していたのに、随分とタイムロスしてしまった。振り返るとクレイグがどうした、と眉をあげる。その表情は高校の頃から変わった気もするし、変わっていない気もする。
だからだろうか、あのときからずっと変わらない、こうして視線をぶつける度にこの気持ちが心を満たしていくのを感じる。

 

(…この男が好きだ)

 

声にならない思いは、もう募り募って4年目。初めて出会った高校二年生から、ずっと減ることなく増幅していく。だけどそれを認めるのはあの飄々としたクレイグの様子をみているとなんとなく悔しくて、いつも気づかないそぶりをしてしまうのだった。

勿論心の中の奥の奥ではずっと前から自覚しているが、こんな風に余裕のある振りをされると認めたくなくなる。自分ばかり好きみたいで、いつかこの邪な思いがばれて蔑まれるのではないかと思って、苦しくなる。

「よそ見してるとぶつかるぞ」
クレイグはゆっくりとピアーズを抜かしていった。そして振り返って手招きをする。
ピアーズは自然と走り出していた。まだ着地地点はわからない、おそらくピアーズに行動する気がない限り、発展も失恋もないだろう。それでも終わりがなければそれでいいと、ピアーズはいつも自分を納得させては少しだけ苦しくなるのだった。

 

―――自分がこの男を好きになったきっかけは何だっただろう。懐かしい夢を見た。

 

あれは春、桜の舞う屋上だった。
ピアーズのお気に入りである東棟の屋上は、西棟よりもまだ人は少なく、それでも数人はいつもいて、そのざわめきの気持ちいい場所だった。
そして天気のいい日には、そこから遠くに海が見晴らせる。桜が舞う中それを眺めるのは至高だった。
屋上まで階段を駆け上ってドアを開き右を見る。するとそこにはお気に入りのベストポジションがあるはずだった。
「…あれ?転校生か?」
ピアーズの特等席に座っていたのは朝、転校生だと紹介されたクレイグ・バラクロフ。
「…そちらは?」
「ピアーズ・エインワーズ。あんたのクラスメイトだ」
ピアーズは遠慮なくそのベンチに腰掛けた。クレイグが少しだけ距離を開ける。ピアーズはそれを見ながらも質問を続けた。
「どっから越してきたの?」
「…雪の多い地域だ。ここよりずっと寒い」
「ふうん。確かにそんな顔をしてるよ」
別にピアーズにとっては何のつもりもない印象の話をしただけなのに、クレイグはきょとんと一瞬目をしばたかせた。

「…?なに?なんか変なこと言った?」
「…いや。別に。俺の顔をみてそんな風に言ったやつは初めてだったから」
そういうクレイグの顔は心底そう思っている風で、驚いたようでもあった。
「なに?普段なんて言われんの?」
「…いや、言うほどのものでもない」
ピアーズは片手に先ほど買ってきたジュースの缶をもてあそびながら聞いた。元々人に興味を持つタイプだけれど、この男にはなんだか余計に興味がわいた。身近では一番コンラッドが近いだろうか、一つひとつの言葉を情報ツールとして適切に扱う男だった。

「本当に、誰も俺のことを知らないんだな…」
だから、こんな一言に興味を持ってしまう。
「何、有名人なの?」
「世間で騒がれてる医者の息子だ。おかげで早いうちから駆け引きを覚えた」
「そっか、そりゃ大変だったな。息子のあんたでもそんなに顔知られちゃってるの?」
「まあ、近所なら」
「ここではバレないといいな。まあバレても、きっとここなら楽しく過ごせると思うよ。みんなイイやつだし。特にオレの友達は」
「そういってもらえるあんたの友人が羨ましいな」
そういってクレイグが笑った。青い空にたくさんの桜が舞い上がる。

初めて見たクレイグの顔は、大人ぶった仮面からすこしだけ幼さが見えた。それは貴重な、思春期の男子独特のもの。
ピアーズの恋は、遡ってみればここから始まっていたのかもしれない。ーーー

 

 

「おはよ。目覚めた?」
いつの間にか眠ってしまっていたようだ。来週締め切りのレポートは最低30枚A4敷き詰めで求められている。内容は”聖堂建築におけるロマネスク様式とゴシック様式について”。このレポートの内容が不十分だと、今期必須の単位は確実に落ちる。
「…ん、いま何時…?」
「18:53」
「うわやば…起こしてよ」
「あんまりお前が気持ち良さそうだったからさ」
休日はこうしてクレイグの実家で勉強会を開くのがいつの間にか普通になっていた。医学科のクレイグは勿論、ピアーズもこの大学で最も単位に厳しいと言われる建築学科の勉強には、休日返上もやむを得なかった。
クレイグはシャーペンを置いてぐっと背伸びをした。暖かい暖炉のあるクレイグの部屋は、いつだって眠気を誘う。
「どう?レポート終わりそう?」
「…いや、ちょっときつい」
「お前が起きたら飯食いにでも出かけようかと計画してたんだけど」
ピアーズは迷った。確かに腹は減っている。だが、今日のうちに少しでもこのレポートを進めておきたいのは事実。

「…うーん…」
「…わかったよ。雪も降ってきたし。何食いたい?」
「…肉」
「寝起きでそれかよ。わかった。俺が戻って来るまでにレポート進めとけよ」
クレイグは席を立った。ピアーズは上体をひねって凝り固まった身体をほぐす。

クレイグは夕飯の支度をしに行ったらしい。クレイグの料理の腕はピアーズの舌を満足させるに十分すぎる。これは期待できそうだ。ピアーズは文献を開いてもう一度レポートに向きなおった。

しばらく集中してレポートを進めていると、部屋の外から肉の焼けるいい匂いが漂ってきた。ピアーズの空腹をくすぐる。おいしい手料理にありつけるのももう近そうだ。

ピアーズはふと、窓の外を落ちていく雪に目をやった。今年はよく夜に雪が降る。
ぐっと背伸びをしてピアーズは立ち上がった。窓際に近づくとひんやりとした冷気が窓ガラスを伝ってくる。この寒さだと明日の朝まで降雪が続きそうだ。
クレイグの部屋の窓辺には小さなスノードームが置いてある。明らかにクレイグの趣味ではないが、冬の雰囲気を醸し出すのに一役買っている。きっとシェリルが置いて行ったのだろう。

クレイグが女性の友だちをそばに置いておくのは珍しい。彼女も高校からの付き合いだ。彼女以外にクレイグと仲のいい女性を見たことはないのに、何故か彼女はクレイグのテリトリー内に入ることを許されている。

いつかクレイグに恋人なのかと聞いたときも違うと言った。そして同時に、可哀想な女だ、とも。結局そのクレイグの発言の真意を聞くことは出来なかったが、2人の間に確実にピアーズの知らない何かがあったのは間違いなかった。

先週の図書館での件もそうだ。文学科の彼女は、放課後の時間を図書館での司書補佐として過ごしている。決まってそんな彼女のいる図書館で勉強をするというのは、―クレイグが図書館という場所を普段から気に入っていることは承知の上だが―、何かしら別の意味を含んでいるような気がしてならなかった。

彼女とクレイグの間にどんな契約があったのかは知らないが、クレイグに恋する彼女の存在がピアーズの不安を煽るのは言うまでもない。

「ピアーズ!飯できたぞー」
クレイグが下階から呼ぶ声がする。この声を待っていた。
「今いく!」
ピアーズは振り返って大きな声で叫んだ。そしてカーテンを閉める。
そしてスノードームをちらりと見やった。シェリルと話したことは何度かあるが、とても気の利くいい女性だ。そして趣味もいい。
もしクレイグが彼女を恋人として迎える日がきたら、自分は素直に祝ってやるべきなのだろう。頭ではわかっていても、実際そうできるか、心が納得するかと聞かれたらまだ疑問のままだ。クレイグの幸せと、自分の幸せが合致すればいいのに、といつもため息をつきたくなる。

「おーい、ピアーズ?」
階段を降りる音がしないのを不思議に思ったのか、もう一度クレイグが呼んだ。クレイグの声が近づいてきているから、わざわさ心配して階段を上ってきてくれているに違いない。
ピアーズは急いで部屋を出た。廊下にはいい香りが充満している。

「ほら、はやく、冷めちまう」
階段を上ってきたクレイグと鉢合わせた。クレイグの瞳は優しく、素直にピアーズを待っていたという目をしている。

「うん、ありがとう」
とりあえずいまは、目の前にある小さな幸せを取りこぼさぬようにしようか。

 

 

作:yukino