月の見える夜は
アダムといるときの月はより一層綺麗に見える。本当に苦しい毎日の闘いの中でも、こんな夜を過ごせるなら長く続いてもいいと思えるのだ。
そよ風に草木が揺れ、乾いた音が二人を包んだ。
「いい夜ですね」
「…そうだな」
二人は夜間警備に当たっていた。部隊の仲間が休むこのキャンプを守るのが任務だ。この辺りは紛争の頻発地域である。しかしこのところは少し落ち着きを取り戻していて、今夜は空に曇りもない。
「お前と夜間警備に当たる日はなかなか気持ちいい夜ばかりだ」
アダムは真っ暗な地平線を眺めながら笑った。その横顔をエリスは盗み見る。
「不思議だ、実はオレもそう思っていました。この間、副隊長と夜間警備に当たったときは土砂降りだし組織が動いて皆を叩き起こさなければならなかったので最悪でしたよ」
エリスが笑ってそう言うとアダムも面白そうに目を細めた。
「あいつは運が悪いのかもな。夜、叩き起こされるときはだいたいあいつの時なんだよ」
部隊の仲間はすっかり眠ったようだ。さっきまで聞こえていた話し声は止み、中には鼾をかいている男もいるようだ。屈強な男たちが集い、小さなキャンプで身を寄せて眠る。エリスは、そんな仲間の姿をいとしく思うのだった。
「……エリス」
アダムの声がエリスの鼓膜を揺らす。しっとりとした、優しい声色だった。
「はい、隊長」
エリスは従順に返事をした。
風が柔らかく吹いている。肌に心地よい冷ややかさだ。
「お前は、いつまで俺のそばにいてくれるんだろうな」
アダムは振り返り、エリスの目を見つめた。エリスはその瞳を真っ直ぐに見つめ返す。
「隊長、愚問です」
エリスが告げるとアダムは片眉を上げた。体育会系のこの部隊長は少々鈍いところがある。一言で人の話を読み切るのが苦手なようだった。
「オレはあなたが泣いて嫌がってもついていきます、どこまでも」
アダムが表情を崩した。泣いているようにも笑っているようにも見える。
「一緒の墓に入ることになりそうだがいいか」
遠くで狼が鳴いている。夜も深くなってきた。
エリスは深く頷く。
「二人じゃちょっと狭いかもしれませんが我慢してくださいね」
アダムが笑うとエリスもつられて笑った。アダムとの何気ない会話一つ一つが全て愛おしい。アダムがふと、エリスに背中を向けた。その向こうに広がる空は濃紺で、幾千の星が散らばっている。
「エリス、その言葉、決して忘れてくれるなよ」
エリスは頷く。アダムには見えていないが伝わっているだろう。
アダムのその背中を見て思う。今までどんな気持ちでこの部隊を率いてきたのだろうと。多くの仲間が彼の目の前で死んだ。きっとエリスと同じように、一生ついていくと言いながら志半ばに息絶えた者も多いのだろう。
だから彼はいつも言うのだ。
ーーー誰一人、置き去りにはしない、と。
エリスはそのアダムの背中にそっと触れた。いつもより背中が小さく見える。筋骨隆々としていて逞しく、誰もが憧れるその背中が。
「隊長」
エリスは不意に泣きそうになった。彼にもこうして不安定な、孤独な気持ちになることがあるのだと今ではわかる。その度に彼は一人で枕を濡らしたのだろうか。それとも。
「なんで泣いているんだ」
アダムの優しい声が降ってくる。頭を右腕で抱えられ、エリスは背中に触れた手にぎゅっと力を入れた。
「あなたの代わりに泣いてあげているんです」
どうせこの人は一人で泣けないのだ。自分のために泣けない男なのだ。ならば少しは自分が肩代わりしても文句を言われる筋合いはないだろう。
「……そうか」
アダムはエリスを抱える腕に力を込めた。そして、自分自身も目線を落とした。
「……お前だけは、本当にそばにいてくれそうだな」
そうだ、そうに決まっている。エリスは絞り出せもしない声の代わりに何度も深く頷いて見せた。喉に熱いものが上り詰めてくる。
「ありがとう」
その震える声に、余計に涙が込み上げた。心の底から強く思う、彼を、彼の心を守らねばならない。深く傷付いて癒えることも難しいこの心を、これ以上避けようのない嘘で傷付けぬように。