紙ヒコーキ

年下攻め若干多めのBL小説サイトです。毎週日・火・木曜日更新です。現在は大学生モノを連載中ですが、今後は軍事モノにも手を出す予定・・・。耽美な雰囲気と文章力向上をめざし日々精進です。

【13】フレイム 2003.10.24 -Craig side-

 

"率直に言うと、気持ちの整理がついていないときのほうが楽だった。
落ち着いて自分の余計な気持ちを片付けてみると、こんなにもピアーズが恋しい。"

久しぶりに日記を綴ろうと思ってしまったのは、きっと報われない恋の副作用だ。
クレイグはソファに腰掛けて、ハードカバーの日記を手に取った。

 

ドイツでの新生活は思ったより刺激がなくて、宙を漂っているような感覚だった。
勿論学問にはうってつけの環境で、仲間たちと切磋琢磨しながら毎日勉強する日々を楽しいと感じていなかったかどうかと聞かれれば「楽しい」という感情のほうが近いのだろう。
知識を欲するままに得られるし、身体を動かしたければ二三人ピックアップしてバスケットコートに走ることもできる。

「クレイグ、今日の授業終わり一緒に研究室行こうぜ」

古い友人であるカスパルが手を上げてクレイグを誘う。
授業の始まる鐘は2分後に鳴ろうと控えていた。

「ああ、勿論」

幼い頃祖母がドイツに連れてきてくれた際に、父親の友人と言う男と会うことがあった。
その男の息子がカスパルで、ドイツに渡るたび、どのような形でかは会っていたし、よく遊んだ。
カスパルは真面目な学生だったが、女は絶やさない男だった。その端正な作りの顔と、言葉たくみに女性の気持ちを煽れるトークスキルが、彼を彼たらしめている。まるでその存在自体が恋のために生まれてきたようだ。1人と付き合う期間は短いけれど、その間は骨まで愛して終わればとことん燃え尽きる。失恋の後はしばらく家から出ないこともあるしい。
けれどそんな彼がまた恋をしようと思うのは、やっぱり愛がないと生きていけないと思うからだと、いつかの夜バーで語ってくれた。

 

"『人間は愛がないと生きていけない』という命題が成り立つのであれば、
もう俺は人間としての死を迎えたことになるのだろう。"

 

「もうお前がこっちに来て半年も経つのか」
「そうだな。季節も春から秋に変わった」
「オレの愛する女性も二人変わった」
「いつか背後から刺されそうだな」
「そんなことないさ、みんな幸せだったって言ってくれる」

銀杏並木の下を並んで歩く。風が吹くと散ってくる銀杏を少しよけながら。
広大なキャンパスでは多くの学生たちが自転車を使用している。
クレイグもカスパルも例外でなく、二人は駐輪所へ向かっていた。

「オレ、相手のことを上手に、器用に愛する自信はないけど、一途にまっすぐ愛せる自信だけはあるんだ」
「もう少し器用さを身に付けた方がいい」
「その言葉、そっくりそのままお前に返すよ。高校の頃から聞いてた例の相手に思いを伝えずに来ちまうなんてさ。オレだったら帰ってくるまで待ってて、って約束して毎日でも電話するね」

赤いコンパクトな自転車のカゴにボストンバッグを載せながら、カスパルが答えた。
クレイグも隣の黒い自転車にまたがる。

「俺は不器用なんじゃなくて臆病なんだよ」
「どっちも似たようなもんさ」

ドイツの秋は元いた国より寒い。もうマフラーが必要なのだ。
だからこうしていても、人恋しくなるのだろう。

 

"この日記を読み返す時には、もう笑い話にできるようになっていればいい。
こんなにも苦しい気持ちを、いつまでも抱えていたくない。
毎日片方の肺だけを使って呼吸しているみたいだ。"

 

「でも、お前のはちょっと違うな。お前の臆病は優しさからくる臆病だ。自分可愛さからじゃない。だから余計、手に負えないのかもな」

 

"本当は、思春期だけの特別な感情だと思っていた。
未来への不安や、異性に対する感情の芽生えなどから手近にいて親しい友人に対する好意を愛情と勘違いすることはよくある。
だから高校を卒業し、安定した大学生活を送ればこの感情は消えていくものだと思っていた。
それなのに、もう五年もこの思いを捨てられないでいる"

 

次の教室は学内で最北にある研究棟。
風に吹きさらされる研究棟は冬期の研究期間泊まり込むとひどく冷えるという。
まだそれを経験したことが無いクレイグは、それに内心怯えた。
ここの冬は寒い。冬の学会でドイツに連れられるのは親の都合の中でも最も苦痛だった。
ずっと寒い地方で育ってきたけれど、寒いのは嫌いだ。
寒さは悲しみを背負う人の心に悪魔を巣食わせる。

「そんなことないさ。人を傷つけるのが怖いだけで」
「いや、そこじゃない。その優しさじゃなくて、んー、なんだろうな、お前の写真にもそれが滲み出てる。グランマから愛情をたっぷり注がれて育ったんだなと思ったよ」

ドイツ人の幼馴染が笑う。
クレイグは笑えなかった。いつかピアーズにも、似たようなことを言われたことがある。

 

"住所を書かないのはただの強がりと妙な期待を捨てるためだった。
もしかしたら、ピアーズならいつかドイツまで会いに来てくれるかもしれないと思った。
しかしそれは、いまの俺にとって自我を失う瞬間はそのときくらいしかないと思えるほど、ある意味で恐ろしいことだった。
ピアーズがいま目の前にあらわれたら、何をするかわからない。
膝から崩れ落ちて泣くかもしれないし、あるいはその体を強く抱きしめるかもしれない。
でも、俺たちの関係は『友人』だ。
会わない方がいい。この恋は、ドイツに捨てていくつもりだ。
次向こうに戻るときは、せめてあいつにも俺にも、恋人が出来ているといいのだが。"

 

研究棟のエントランス付近に通用門がある。
そこを出ると一般道に出て、近くの噴水公園を抜けると郵便局が位置している。
いつもそこからピアーズ宛の手紙を送っていた。

カスパル、悪い先行ってて」
「また手紙か?」
「ああ」

クレイグは自転車を降りてそのまま通用門に向かった。
細い道は、すべて落ち葉で埋まっている。

「付き合うさ。たまにはいいだろ」

カスパルが駆けてきて隣に並んだ。
木枯らしが二人のコートを揺らす。
噴水公園は住民の憩いの場となっており、今日もそれなりの人でにぎわっているらしい。
中央に位置する噴水からは一時間に一回、大きな噴水が上がる。
公園の中に足を踏み入れると、その噴水が大きく上がったのが遠目でもわかった。

 

"この気持ちを忘れることができるのは、きっと死ぬ時だと思う。
未来の自分に一言言えるのであれば、こう言いたい。
俺はこの恋に落ちて、本当に幸せだった。
苦しいことも、切ない気持ちも、まるごと含めて幸せだと思うのは、
後生これきりしかないだろう。"

 

「ありがとう」

公園からは子どもたちの遊ぶ声が聞こえる。
クレイグはそれを優しい表情で聞いていた。