【4】フレイム (1999.1.23)2003.2.3 -Piers side-
ーーー 一度だけ過去に、クレイグと肌を重ねたことがあった。
あれは高校の時、同じくこの部屋でだった。あの日もこんな風に、積もらない雪が降っていたのを覚えている。
”なぁピアーズ、いまから俺んち来れないか?”
突然かかってきた電話に、ピアーズはひとつ返事でokした。別にその日はプールの定期点検で部活もなかったし、やることもなかったからだ。だが元々クレイグの方から父親の講演会に参加するからNGだと言われていた日だったこと、そして電話口のクレイグの声が少し引っかかっていた。
「クレイグ?いるんだろ?」
呼び鈴を鳴らしても出てこなかったから、電話で言われたように勝手に入らせてもらった。
クレイグの両親は医学界では有名な医者と研究者だった。父親は不治の病と言われていた病の原因を究明し母親はその特効薬を作り出した。いまはその病の専門医として業界で名を馳せている。
クレイグはそれをわざわざ言いはしなかったが、知っている者も増えてきたし、ピアーズもそれをよく知っている。そんな両親の建てたこの家は広いくせにいつもどこか閑散としていて、クレイグの孤独を閉じ込めているようななりをしているのだ。
ピアーズは暖房の効いた廊下と階段を歩いてクレイグの部屋までたどり着いた。そしてドアをノックする。
「どうぞ」
クレイグの声が聞こえて、ピアーズは少しホッとしながら部屋に入る。そこには見慣れないスーツを着たクレイグがいた。
「悪いな、いきなり呼び出したりして」
「いや。全然」
「雪降ってたろ?」
「そんなに酷くもなかったよ」
ピアーズはいつものようにクレイグのベッドに腰掛けた。ここがピアーズの特等席だった。
「それより、講演会どうだった?お前楽しみにしてたじゃん」
そのピアーズの言葉に、クレイグが反応した。以前から父親にパーティなどへ連れていかれているとは聞いていたが、講演会への出席は初めてだったようで今回のは少し憂鬱が払われた心持ちだと言っていた。
「…親父のやってる学問の偉大さを知ったよ」
「そりゃな。お前の親父さんは長い歴史を変えたんだ。賞賛されて当然だと思う」
ピアーズの言葉が終わるかどうかというところで、急にクレイグが立ち上がってそのままピアーズをベッドに押し倒した。
「なぁ、あの親父のすることは全て正しいのか」
「…クレイグ…?」
「俺に、自由意思はないのか」
真上に見えるクレイグの表情は今にも泣きそうで、ピアーズは講演会で何かがあったことを察した。いや、いままで募ってきたものが、講演会で爆発したとでも言うのだろうか。とりあえずピアーズは、クレイグを落ち着けようと必死に言葉を紡いだ。
「お前は、自分の好きなように生きていいと思う。お前は親父さんとは別だ」
「だが世間はそう見ていない。世論があの人のやることをすべて肯定しているように見える。俺は、…あの人のいいなりにしかなれない。でも、それがひどく苦痛なんだどうしたらいい。将来の夢も、恋も、日々のスケジュールも、…全部あの人の決定に背くことは許されない」
「ちゃんと主張しろよ、自分は嫌だって」
「…それができたら苦労しない。…なあピアーズ、一つだけ俺の願いを聞いてくれないか」
「いいよ、いくらだって聞いてやる」
「俺だけを見ろ」
ピアーズが狼狽えて目をそらした瞬間、クレイグの唇がピアーズの唇を塞いだ。息が出来なくて苦しくてクレイグの胸を拳でとんとんと叩く。
「……悪い」
「…いいよ、これがお前の願いなんだろ」
そこからはもう、二人で深い闇に堕ちていくようだった。
部屋の電気を落として、暖炉の明かりと熱赤外線に任せて服を脱ぎ裸になる。
水泳部だったピアーズの身体をクレイグが見ることはあっても、ピアーズがクレイグの裸を見ることはなかったのだとそのときピアーズは初めて気づいた。自分より十センチ近く高い身長と、程よく鍛えられた身体、そして滑らかな肌はよりクレイグを大人らしく、艶らしく見せてくれる。
ピアーズの冷えた身体は、クレイグの熱い肌ですぐに温まった。
「…ピアーズ、…こっち見て」
「……」
「ほら」
少し強引に唇を貪られながら、ピアーズは酸素が脳に回らなくなっていくのがわかった。とびきりに濃厚な時間が二人を満たす。
ピアーズはいままでこんなことをしたことはなかったから、どう動いていいかもわからずひどく混乱していた。
それでもクレイグの動きが自然で、熟練しているように見えたからその流れに身を任せることに決めた。悪いようにはしないと分かっている。
「…あぁ、…もう、やめろ…」
一人でするときには出来ない感覚。絶頂に達するという寸前で欲しい手の動きが止まる。
そうするとピアーズは、砂漠で喉の渇きを潤したくなる旅人のように、どうしてもそれが欲しくてたまらなく狂おしい気持ちになるのだ。
クレイグの腰の動きが早くなって、ピアーズは余計に手の動きが止まっているのが苦しくなった。このまま手を使わなくても絶頂を迎えてしまったら笑われてしまいそうだ。
初めては痛いとよく女の子たちが言っているのが嘘みたいに、クレイグとのそれは気持ちがいい。そして同時に苦しい。
腰の動きがすばやくなって、ピアーズはクレイグの熱を受け止めた。
「…は、…あぁ、…終わった…?」
「ん?まだ」
クレイグが瞼、額、唇に優しくキスを落とす。
そしてクレイグの手が、ピアーズのそれに触れて、すばやく手を動かした。突然の刺激にさっきすんでのところまで登りつめて少ししぼみかけた快楽が、また急激にのぼってくる。
「…あ、…クレイグ、…やめろ」
「なんで?二回目は一緒がいいだろ?」
クレイグが少し意地悪に微笑む。そして次は、焦らされることなくストレートに絶頂を迎えた。
「…ピアーズ」
「…ん?」
「…ごめんな」
「…うんん」
なんて答えていいかわからない。さっきまではあんなに盛り上がって、笑顔を見せる余裕すらあったのに、終わってしまうとクレイグは情事の前みたいにまた、泣きそうな顔をしてしまったのだ。
なんとなく気だるくて立ち上がることは出来なかった。クレイグの部屋のアナログ時計は22:08を指している。明日は祝日だから、このまま親に泊まると伝えて寝てしまってもいい。ピアーズは携帯のアドレス帳から母親を呼び出してメールを飛ばした。
「願いを聞くって言ったのは、オレの方だ。それでお前の気が済むならいいよ」
背中を向けてしまったクレイグは答えない。
「そうじゃなきゃ、…意味がない」
いま思えば、あの回答はあまりにも酷だったかもしれない。信用をもらうための手段だったとしか思っていなかった自分を浅はかに思う。
結局そのあと、どんな会話をして翌朝はどうやって解散したのか、いまではなぜかはっきり思い出すことができなかった。ただ、あのとき窓から見た景色といまの景色がよく似ているということだけが、いまも心の中に残っている。―――
「ピアーズ?飲みすぎたか?」
「あ、いや」
エルバートとユージンは酔いつぶれてカーペットの上で寝ている。クレイグは立ち上がって部屋の片付けをしているようだ。
「クレイグ、もう赤ワインないの?」
「あるけど…お前な、飲み過ぎ。水持ってきてやるから待ってろ」
クレイグはコンラッドの前にあったワイングラスを取り上げた。トレーに載せたグラスを下げに行くついでに、飲み物をとってこようとしているらしい。
「ピアーズは?なんか飲むか?」
「…あー、オレも水欲しい」
「わかった」
クレイグはそういうとトレー片手に部屋を出て行ってしまった。
「ピアーズ。何考えてたの?」
コンラッドが首を傾げてどこか見透かしたような視線をよこす。
「…別に。女にモテる方法でも教えてもらおうかなって」
「そんなのじっくり目をみて話をきいてやればいいのさ」
「それで落とせるのはその顔のせいだ」
ピアーズは皮肉たっぷりに言ってやった。コンラッドもそれをわかっていたようで、くすくすと笑う。
「そりゃ光栄」
「わかってるんだろ、自分でも」
意地悪なことを言っていることはわかっている。それでもなんとなく、余裕のあるその視線に抗いたくてピアーズはつっけんどんな態度をとった。
「好きだって言ってくれる女性が他の男よりは多いってのは自覚してる」
「このエロ男」
「それはどっちかな。さっき、ぼーっとしてたけど何考えてたの?エロいこと?」
「うるさい」
投げつけるように言葉を吐いたピアーズに、コンラッドはにやりと笑った。
「お前昔からそうだけど、あまり周りに遠慮するな?もう少しお前は本音を言ったほうがいい」
「いつも本音で生きてるよ」
「そんなことないだろ?伊達に幼馴染やってきたんじゃない」
実はコンラッドとは長く幼馴染と言われる関係だ。
高校に入ってから急に大人びてしまって、その変化に戸惑っていたのと一年生のときクラスが離れたことで距離を感じていたが、二年、三年と同じクラスになり、一年のときつるんでいたユージンとエルバート、そしてそこにクレイグが加わる形で今日のメンバーが形成された。
「…また、話せるようになったら話すよ」
もうあのときのことは、クレイグも自分も、忘れた方がいい。ピアーズはもう一度胸の奥の扉にしっかりと鍵をかけた。