紙ヒコーキ

年下攻め若干多めのBL小説サイトです。毎週日・火・木曜日更新です。現在は大学生モノを連載中ですが、今後は軍事モノにも手を出す予定・・・。耽美な雰囲気と文章力向上をめざし日々精進です。

【5】フレイム 2003.1.20~2003.1.22 -Piers side-

 

"もしもしピアーズ?今日、行く?"
「行くよ。四時限目終わったら行く」

三時限と四時限の間に、クレイグからかかってきた電話を取った。今夜は一緒にジムに行くのを予定していたから、それの話だろう。

"なら先行ってて。俺四限目終わってから教授の手伝いしなきゃなんなくなって"
「わかった」
"じゃあまた後でな"
「ん」

それだけ言って通話を切る。
いつも一緒に行くジムだが、その中で特に会話らしいものはない。クレイグはあまりプールにはいかないし、二人で並んでランニングマシンには乗るけれど、ただひたすら走るのに徹する。それぞれが自分のストイックを突き詰めるあの空気感がたまらなく好きなのだ。

ピアーズは大学から街に続く坂道を下った。もうすっかり日が落ちてしまって空は完全に夜に塗られるのを待っている。
街の灯りがほの明るく夜の闇に怯えるかのように少しずつ広がり始めていた。

「おかえり」
「結局来なかったんだな」

大学に入って一人暮らしを始めたピアーズの家には、こうしてよく夕飯を作りにクレイグが来ることがあった。
合鍵も渡してあった。クレイグはなぜかまだあの家に住んでいるから、家にいなくていい理由をここに見つけたのだろう。

「夕飯何?」
「オムライス」
「やったね」
「一緒にジム行ってやれなかったお詫び。お前好きだろ。ほら、手洗いうがい行って来い」

ピアーズはふんと鼻で笑うと言われた通り手を洗いに行った。シャワーはもうジムで浴びてきてしまった。

「あ、クレイグ、ハンドソープない!持ってきて」
「なにやってんだよ…」

クレイグが呟いたのがわかったが、ピアーズはその手を濡らしたままの状態で待っていた。すると甲斐甲斐しくこうして、クレイグが持っててくれることを知ってるのだ。

「ありがと」
「お前こないだのコンペどうなったの?」
「あーダメだった」

詰め替えパックから少しピアーズの手にソープをこぼしてやってからクレイグはボトルに詰め替え始めた。

「そう。でも俺は好きだったぜ。模型は?ある?もう一回みたい」
「あるよ」
「あっちの部屋?」

クレイグが嬉しそうに振り返るから、ピアーズは何も言えなかった。そんなに自分の作るものを好きだと思ってくれているこの存在が愛おしい。

「ご飯は?」
「じゃあ飯の後」
「いいよ。でも手直ししたらまた教授が見てくれるっていうから、壊すなよ」

コンペでは選ばれなかったけれど、教授に気に入ってもらえた。
その教授は現役の建築家だし、事務所の手伝いをしてくれないかと言ってくれたから何かいいものが掴めるかもしれない。
コンペに落ちて落ち込むところだったのを救ってくれたのは教授だった。

「君の学生生活を僕に預けてみないか、と言われたよ」
「マジかよ。相当気に入られたんだな」

二人向かい合ってテーブルにつく。

「いや、実際はわからない。事務所の手伝いが欲しいだけかもしれないし」

ピアーズは大きく口を開けてオムライスを頬張った。バターの風味香るふわふわの卵が大好きだ。クレイグが祖母から教わったというオムライスは、ピアーズの好物の一つである。

「お前の尊敬する教授だろ?そんな人のいる設計事務所なら黙ってても助手なんていくらでも来るさ」
「…そうかな。真意はわからない。なんていうか、ミステリアスな人なんだ」

教授はいかにも芸術家といった妙な色気を持つ男だった。名をアダルバードという。
まだ35という若さながら寡黙だし、表情から何を考えているかわからないようなポーカーフェイスは、研究室へ運ぶ学生たちの足を遠ざけた。

建築学科の学生たちは自分を売り込むために色んな教授のもとへ足を運ぶが、そんな学生たちでも彼のところへは月に5人行けばいい方だった。勿論実績だけを見れば学内でも随一だったが、彼の研究室へ行ったという学生はみな一様に口を揃えて「あの教授には教える意思がない」とか「学生の学習意欲を削いでいる」などと言うのだ。

ピアーズは元々他に懇意にしている教授がいたからそちらの研究室で事足りたし、近寄ることはしなかったけれど、彼の手から生まれる作品が大好きだったから、いつか学習意欲を削がれたとしても話をしてみたいと思っていたのだ。勿論そこにはクレイグがいう尊敬の意思というものと、そして自分の建築学に対する意思を他人に曲げられるわけがないという自負もあったからであろう。

「ふうん。芸術家とかってそんなもんだよな。天才と変人は紙一重だ」
「…うん、そうだな。絵描きとしても大成してるし」

正直、まだわからないことがいくつかあって決めかねている。本当はクレイグに相談するつもりだったけれど、自分の嫌なところを露呈するのが嫌で言葉を濁した。

「で、お前はどうすんの?手伝いはするわけ?」
「…世界を股にかける建築家だ。一流の仕事をこの目で見たいと思うよ」

ピアーズの真剣な話を、クレイグはいつもまっすぐな瞳で聞いてくれる。こちらが話すのに夢中になっているときはいいけれど、ふと気を抜くとその青い瞳に吸い付けられそうになってしまう。

「…そうか。大変だと思うけど、そうなったら頑張れよ」
「あ、でも今までの生活を大幅に崩すようなつもりはないから。ちゃんとジムやダーツにも行くし、図書館で勉強できなくなるとかもないようにするから」
「いいよ、お前の好きなようにやれば。お前の将来への障壁になるつもりはない。未来のために邪魔だから消えてくれと言われたら、黙って消えるよ」
「それ本気?ユーモアのつもりならセンスないんじゃない」

口調が拗ねてしまった。面喰った様子のクレイグを見て少し罪悪感を感じながらピアーズは慌てて話題を探す。
自分のこういうところが嫌だ。クレイグと同じ気持ちなわけがないのに、自分の気持ちに相応のものが返ってこないとすぐに気持ちが荒れる。

「ところで久しぶりにポートオール美術館に行きたいんだけど、いつ行く?あと、今度ニューヨークでお前の好きな写真家の写真展があるだろ?あれもオレ行きたいんだよね」
「…いつでもいいよ、お前が行きたいときで」

クレイグがにこりと微笑んで頷く。そしてすぐにうつむいた。
その瞼に滲む色気にいつもあてられそうになる。ピアーズは頭の中で次の外出の日程を組んだ。

 

「決まったかい、心は」

ピアーズは翌日4時限の終わった後、アダルバードの札のかかった研究室に来ていた。
アダルバードはピアーズが部屋に入った時からずっと、窓の向こうを見ている。

「はい」
「返事を聞かせておくれ」
「せっかくお誘い頂いたのですが、今回は、…辞退させて下さい」

ピアーズのその言葉に、アダルバードが緩慢な動きで振り向いた。そして何を考えているかわからない曖昧な表情でピアーズを見つめる。

「何が気にくわない」
「特にこれといったものはありません。あなたの元で助手をさせてもらえるなんて、身に余る光栄だというのはわかっているんです。ですが、…本当にあなたは、オレの"作品"を見てくれていたのかなって、疑問に思ったんです」
「…」
「オレは、今の日常の中で大切な友人と過ごしたり、芸術に触れたりする生活が割と好きなんです。あなたのそばにいたらそりゃ、毎日刺激的で楽しいと思う。でもまだ、オレはそこに及んでない。これは主観的な判断ですが、客観に近いと思っています。オレにはまだ、デザインの基礎から抜け出せていないところがある。法則を取っ払っても素晴らしい芸術という域に、達していないんです。あなたの作品がそういうものばかりだからこそ、オレはあなたの作品を見てきたからこそ、自分の作品があなたの琴線に触れるものじゃないってわかっているんです」

アダルバードがこちらに一歩、また一歩と近づいてきた。ピアーズはぐっとその目を見つめ返す。ここで折れてはいけないと思った。
ピアーズがぐっと歯を噛み締めた瞬間、アダルバードがピアーズに抱きついた。

「…アダルバード教授…!」

アダルバードの腕の力は尋常でないほどきつい。ピアーズは両手を拘束されるような形で抱きしめられ、身体を捩って抵抗する。

「ああ、…ピアーズ…君は美しい…私のものでいてくれないか」

アダルバードの息は荒い。ピアーズは本能的に身の危険を察知した。

「教授…!お願いです、…離してください…!」
「ダメだ、全て私に見せてくれ…君のヌードが描きたいんだ…」

そういうとアダルバードはピアーズを後ろのソファに押し倒した。そして素早く部屋の鍵を締める。

「…教授、…やめて、ください…」

ソファに押し付けられ、舐め尽くすような視線で全身を見られた時には、ピアーズの心に絶望が巣食っていた。

「ああ、その瞳…いいよ、私を拒絶してくれ…」

ピアーズを見下ろすアダルバードは獣と化していた。
アダルバードの身体を抑える腕は震え、口がうまく動かない。目の前の男の下半身が膨張したのを感じて、ピアーズの表情はさらに恐怖に歪んだ。

男はピアーズの着ていたニットを捲り上げ、その腹筋を舌でなぞる。
ピアーズは手の拘束が解かれたタイミングを見て、ポッケに入っていた携帯を掴んだ。ダイヤルのNo.001はいつになってもクレイグだ。なんとか手探りで電話をかけてみたつもりだが、うまくできたかわからない。それでも、いまのピアーズにできるのはそれだけだった。