【11】フレイム 2003.1.29 -Craig&Piers side-
「お前もう寝る?」
「うん、眠いし。まだ勉強すんの?」
「どうしようかと思って」
「いいよ、オレ明るくても寝れるから。あーでも上で寝るからあんま関係ないか」
ピアーズはそういって背伸びをした。2時間に渡るゲームで萎縮した筋肉を伸ばしている。
「…いや、まあでも明日勉強出来るしな」
「嫌ってほどね」
クレイグの部屋はメゾネットになっている。高校時代は中二階を趣味の部屋としていたけれど、星が綺麗に見えることに気がついてからは寝室にすることにした。ベッドを置いて、好きなクラッシックを聞きながら、その低く斜めにかかる窓から毎夜星を見上げた。
こういうときだけ、家が無駄に大きくて良かったと思う。高さのある屋敷ではないけれど、庭が広いおかげで周りの建物に邪魔されることなく月を望める。
「…寝るか」
「うん。お前んちの上で寝るの、初めて」
「大学入って、初めて泊まりに来たもんな」
本当は、お前が誘ってくれなかったんだ、と言い返したかった。けれど、どことなく懐かしそうに目を細めて笑うクレイグを見たら、そんな皮肉は霧散した。ピアーズに先に階段を登らせる。
「うわ、めっちゃ星見える!」
「いいだろ、いつでもプラネタリウム気分なんだ」
ピアーズはガラスに張り付くようにして空を見た。このあたりは都心から少し外れた郊外なので星もよく見える。
「オレの部屋からも見えるはずなのに、全然違って見える。斜めに採光を取るとこんなにも変わるもんなんだな…」
クレイグは熱心に空を見上げるピアーズを脇目にオーディオにCDをセットした。星空には古典的なクラッシックが合うだろう。
「俺下で寝るから、お前ベッドで寝れば」
「いや普通逆だろ。オレ下で寝るから」
「なんなら一緒に寝てもいいけど?」
「バカ、暑苦しいだろ。布団の予備ある?」
「こっち」
そういってクレイグはベッド下の収納から布団を引っ張り出した。このベッドなら二人余裕で寝られそうだが、さすがにあの日のことを二人並んで思い出すのは気が引けたので、クレイグはそれ以上深追いしなかった。だが、少し願望もあったのかもしれない、いやあった。
「…電気、消していい?」
「うん」
電気を消すと途端に窓の向こうの銀河が眼前まで迫ってくるかのような錯覚に襲われた。
「…毎日こんな空見ながら寝てるのか…」
「そういや最近は、なんか読んですぐ寝てたから、こうやって空見ることはなかったかもな…」
クレイグは脇にあるランプを見た。気に入って買ったアンティークのランプで、いつも寝るまでに本を読んでいた。だから、こんなに綺麗な空をいつからか、見上げなくなってしまったのかもしれない。
ピアーズがは布団に入り、空を見上げる形になった。それを見て、クレイグもベッドに横たわる。
「月をモチーフにして、家を作りたいって、ずっと小さい頃から思ってたんだ。月を眺められる家っていいだろ?日本にある”桂離宮”ってのにも、月を眺めるためのテラスが作られてるんだって。昔から、人間は月が好きなんだ」
「へえ。…お前はそのまま、いい建築家になるんだろうな」
「まだわからない。家や建物ってさ、人間が作るものの中でも自分たちが中に入るものだろ?それって結構数えてみると少ないんだ。だから、今みたいにデザインだけ追いかけてるようじゃ、中に入って過ごす人のためになる設計はできないままだと思う」
ピアーズが真剣に話すのを、クレイグは黙って聞いている。その眼差しは真剣だ。
「設計の仕事って、自分の手で作り出したものを、人の一生の買い物にするんだ。おそらく人が一生にする買い物の中で最も高いものだ。自分の思いをのせるだけじゃなく、お客さんの気持ちや思いをのせて形にしていかなくちゃならない。…ときどきすごく不安になるよ、いまのオレのデザインは人の気持ちをのせるに足るかってね。…だけど、建築家になる夢は、叶えたい。絶対に」
「お前なら大丈夫だ」
なんの確信も根拠もないのに、そう信じてくれるクレイグの言葉はピアーズの胸に温かく沁み込んだ。
「それなら俺の夢は、お前の設計した家で将来を過ごすことにしようか」
「お前と嫁さんと、…子どもは2人くらいかな。それでも上等な家を建てよう」
「…ああ」
そのままどちらともなく会話が途切れて、そのまま眠りに落ちたらしい。
ーーーそれからおよそ3時間後、ピアーズは嫌な夢に魘されて目覚めた。
(イヤな夢だった…)
夢の中で自分は、何故クレイグの手を離したのだろう。クレイグが崖下に落ちていくのを、ただ見ていたところで目が覚めた。
クレイグの方を見る。布団のふくらみを凝視したが、上下しているのは確認できない。
クレイグはいつも死んだように眠る。まるでそれは生命を貪るかのように。いつも一緒にいてわかってはいたはずなのに、こういうときは酷く不安になる。
ピアーズはゆっくり自分の布団を抜け出すと、そっと様子を伺うためにクレイグに近づいた。向こうを向いたまま寝ている。呼吸音はしない。ピアーズは恐る恐る、そのクレイグの頬にかかる布団を持ち上げた。
「…なに、どうした」
クレイグがごそごそと動いて、少しだけこちらを向いた。
「…お前が、死ぬ夢を見た…」
「お前を残して死ぬわけないだろ?」
「…茶化すなよ」
ピアーズはその言葉に安心するもつかの間、昔考えた死の概念がこんなときにその思想を支配する。
「…昔、考えたことがあったんだ。死んだらどうなるんだろうって。それまでずっと、いま死んだらすごい後悔するんだろうなって思いながら生きてたけど、…死んだら後悔するなんてこと考えることすら出来ないし、そもそも自分の存在や、今までの思い出、誰のことも、生きていたことも、全て感じたり、思い出したりすら出来ないんだろうな、本当の無になるんだろうなって。…そう考えたら、めちゃくちゃ死ぬのが怖くなったことがあったんだ」
クレイグは静かに聞いていた。そのピアーズの言葉に対して、何かの答えを出すつもりはないようだ。
「…だから、人が死ぬ夢を見た後はすごく落ち込むよ。夢の中の自分を責めることになる。…死んでほしくないんだ、誰にも」
ピアーズの声が揺れる。いつもクレイグは、ピアーズの感受性に圧倒された。そのせいで夢も現実味を帯びてその感情に迫るのだろう。
「…ピアーズ」
「?」
クレイグの問いかけに、ピアーズが顔を上げる。
「俺のとなりあいてるけど、くる?」
「…狭くなる」
「一人で寝れるか」
「…寝れるよ」
からかわれたと感じたのか、少しピアーズの口調が拗ねる。
「ん。…おやすみ」
低い声が、部屋の闇に染み込んだ。
クレイグは腕を組み、後頭部に敷いて星空を見上げる。
(毎日、夜寝る前に考えた。)
(今日も1日生きていた、明日はどう生きるかって。)
ピアーズのことを、毎日考えた。
(明日1日の生活の中にお前がいることわかると、明日が待ち遠しかった。)
そのたびに沸き起こる感情の名を、いつも模索した。愛や恋とはまた別次元の感情ようだと最近は思い始めている。どれだけページをめくっても医学書には書いてないし、どれだけ教授の話を聞いてもそんなことは教えてくれなかった。
(逆にお前と会わない日はとてつもなく心もとなく感じた。)
(出会うまでは毎日、死なないから生きてるって思ってた。だけど、いまはお前がいるからまだ死ねないとすら思う。こんな強烈な感情に名前があるとしたら、)
ピアーズの寝息が聞こえ始めて、クレイグの胸がきつく締まる。
(これを恋って言うんだろう。)
"愛"とは不思議な感情だ。誰がこの感情を愛と名付けたのだろう。
"恋"とは幸せで苦い心の谷だ。高いところにある雲のせいで闇に飲まれることもあれば、どこからか流れてきた清い河川の水によって潤いがもたらされる。
ピアーズに対するこの感情を、恋と名付けることができるのはきっと、"恋"の川が干からびていたところに、ピアーズが源泉を作ったせいなのだろう。
クレイグはそっとベッドを降りた。
ピアーズの顔を覗き込んでみる。さっきまであんなに泣きそうな声で話していたのに、もうすっかり夢の中にいるみたいだ。
クレイグはそっと、ピアーズの捲れてしまった布団を肩にかけてやってからベッドに戻った。