グラスを傾けて
久々の二人での夕食に心が沸き立つのを感じる。最近は仕事が忙しく、悠々と食事を取ることすらままなかなかった。
包丁の切れ味はいい。丁寧に皮を剥かれた野菜を一口大の大きさに切り分け、鍋に放り込んだ。
不器用な上司は、よく料理なんてできるな、と苦笑いしていたが、フレディは料理が嫌いではない。基礎をきっちりやるとそれなりの味のものが出来る喜びがある。そして何より、愛する者の好きな味を自らの手で作り出すことが出来るのも料理をする者だけに与えられた嬉しい特権だ。
今日も疲れた顔で帰って来るのだろう上司に、彼の大好きな料理を食べさせてあげたいと思うのはきっと親心と似ている。
上司に対して親心だなんてちゃんちゃらおかしい話だとフレディ自身も思うが、それでも彼の上司には万人の心に潜む庇護心を煽る節があった。
訓練が順調に終われば、そろそろ帰ってくる頃だろう。鍋の中の料理が、そのお披露目を今か今かと待っている。
フレディはまだ帰って来ない上司を待ちながら、ヨーグルトとフルーツを混ぜた。これがあるのとないのでは、夕食後の彼の機嫌が変わる。
全く、子どものようではないかと心で笑いながらも、彼が喜ぶ姿を見るのは好きだからこうして一生懸命準備しているのだ。
遠くから車が近付く音が聞こえてくる。上司の愛車の音だ。じきに部屋に上がってくるだろう。
フレディは料理を温め始めると、頬が緩んでいる自分に気が付き照れ隠しに思わず頬をぶった。
「戻ったよフレディ、遅くなって済まない」
「おかえりなさいチーフ。今日の訓練もお疲れ様でした」
フレディは玄関まで出迎えるとその手に上司の荷物を受け取る。上司は鍵をしめながら、まるで女房のようだなと笑った。
「チーフ、今日はあなたの好物を作りました」
廊下を歩きながら、少しだけその手の甲に触れた。ひんやりとした手の甲は、この上司が急いで帰ってきてくれたことを教えてくれる。
「おいおい、こんなときまでチーフと呼ぶのはやめないか」
「ああそうでしたね、…アルフ」
二人は声を揃えて笑った。リビングルームは暖房で温まっている。アルフは満足げにフレディの頭をポンと撫でるとテーブルを覗き込んだ。
「おっ、うまそうだな」
テーブルを見るアルフの目が輝く。それを盗み見たフレディも思わず少し笑った。
「本当にもう。子どもみたいですね」
ジャケットを脱ぐアルフの背後からジャケットを受け取りながら、フレディが言うとアルフは眉を上げた。
「なんだって、とんでもない。愛する者の作る料理を目の前にして喜ばない男はいないさ」
中に着ていたシャツを豪快に脱ぐとアルフの逞しい肉体が現れた。男らしい筋肉のつき方が羨ましい。フレディはアルフの背中を眺めるのが好きだった。
「いいなあ、こんなに綺麗に筋肉がついて」
フレディは思わず口を尖らせる。筋肉のつき方は体質もある、と諭されてもなお羨ましい気持ちからは解放されなかった。
「おいよせ、汗で汚れている」
フレディが背中に唇を寄せるとアルフが慌てて身を翻した。
「汚れているなんてご冗談を。俺が触りたいんです」
「……待てフレディ。せっかくだから先に君が作ってくれた料理をいただこう。冷めてしまうよ」
アルフが悪戯に笑うとフレディにも自然と笑みが零れる。今日と明日はゆっくりできるのだ。時間はまだたっぷりある。
「いただきます、うれしいよフレディ。ありがとう」
「いえ、どうぞ召し上がれ」
見つめあって笑う。アルフがどれから食べようかと迷う姿もまた愛らしい。本当に子どものような人だと、フレディは思う。
「ああ、迷ってしまうな。どれもとても美味しそうだ」
「当たり前です。あなたの大好物ばかりですからね」
「それにお前が作ってくれたからな」
アルフの笑い皺が深くなる。瞳には優しい光が宿っていた。
フレディが好きな笑顔だ。愛されていることが実感できる。
「親愛なるアルフ、誕生日おめでとうございます」
フレディがシャンパングラスを持ち上げると、アルフが驚いたように目を見開いた。
「ああ、そうか。今の今まですっかり忘れていた。ありがとう、フレディ」
アルフも急いでシャンパングラスを持ち上げる。二人で傾けたグラスにはきめ細かな泡がのぼっては消えていった。