紙ヒコーキ

年下攻め若干多めのBL小説サイトです。毎週日・火・木曜日更新です。現在は大学生モノを連載中ですが、今後は軍事モノにも手を出す予定・・・。耽美な雰囲気と文章力向上をめざし日々精進です。

【12】フレイム 2003.1.29~(1999.8.25) -Piers side-

 

大学が長い春休みに入り、ピアーズは一層建築学の勉強に力を入れることにした。
春休みのうちに色んな建築を見、歴史を知り、自分らしい意匠設計にたどり着くための材料を得たい。
クレイグが自分を認めてくれている、信じてくれている、そう思うと苦手な構造分野の勉強も苦にはならなかった。

(やっぱり思い切って海外にでも行こうか、やっぱり自国の建築だけじゃ知れる歴史も少ない)

ピアーズは自室で旅行雑誌を捲りながら迷っていた。行きたい国は数あるが費用も時間限られている。ツアー雑誌の価格を参考にしながら、ピアーズはひたすら思案した。だがこんな時間も楽しい。本当はクレイグと行きたいけれど、興味のない建築見学に付き合わせるのは気が引けた。それとも、芸術を見る目があるクレイグなら楽しめるだろうか?
どのみち自分には勇気がない、だからこの期待も胸にしまっておこう。
最近、カメラに興味がある。クレイグの影響も否めないだろう。あのレンズを覗き込む優しい眼差しが好きだ。自分もレンズを通したら、あんな風に世界を優しく見つめられるのだろうか。

デスクの引き出しを開けると、もらった二人の写真が出てきた。


―――大学二年の秋、クレイグが写真を撮りに日帰りで遠出するというのでそれに付き合ったことがあった。
高校の頃も、体育祭でカメラを持たされたり、事あるごとにカメラマン役を頼まれたりしていたけれど、被写体が何であろうとその優しい眼差しは変わらない。父親が子どもを見つめるのや、恋人を見る男の目でもない。被写体の美しさから醜さまで全てを知ってもなお愛せる、そういう優しさだ。なんでも見透かしているけれど、嫌いにだけは絶対ならない。それがクレイグだった。けれどもピアーズは見透かされるのが怖くて、ほとんどクレイグの写真に写ったことはなかった。たった一度だけ、しかもその写真は今も手元にある。

「お前は被写体が人物のと景色なのと、どっちのが撮って楽しいの?」

秋も深まり、山々が赤や黄色に色づいたのを撮りたいと言ってきたから、そのリクエスト通りに随分と山道を登ってきた。
ピアーズは隣を流れる小川を尻目に、楽しそうな横顔を晒すクレイグに尋ねる。

「被写体か…考えたことなかったな。人も景色も表情があるし。カメラは何を撮っても、時間に干渉されずにその場面を残すには最高のツールだと思うから、被写体が何かはあまり関係ないな、俺にとっては」

そういって満足げにカメラを構える。川辺の少し大きめの石に乗って、垂れ下がる紅葉の瞬間を切り取った。クレイグがピアーズの方を振り向く。

「ピアーズ、こっち向け」
「やだよ、撮るんだろ」

そういってピアーズは顔を背ける。カメラを手にした時のクレイグの無邪気さは少女にも負けない。

「いいだろそれくらい。お前とのツーショット、一枚もないんだぜ?」

そう言うが早いか、クレイグが石を降りた気配がして振り向いた途端、その力強い腕に肩を抱かれシャッターが切られる音がした。クレイグが何をしたのかピアーズがわかったのは、その瞬間クレイグの横顔を見てしまったから。それが手元に残るなんて思わぬ迂闊な表情で。

「あ、バカ!撮るなって言ったじゃん!」
「もう遅いね」
「お前写るのは苦手だって」
「そ。だからこれはサービス」

写真を撮るのは好きだけれど被写体になるのは好きではないとクレイグはいつも言っていたのに。ピアーズは機嫌よく先を歩いていくクレイグにため息をつきたくなった。自分がどんな顔をして写っているか、気がかりで仕方ない。現像した写真を先に目にするであろうクレイグに、自分の表情はどう映るだろうか。ピアーズは黙々とクレイグのあとをついて歩いた。

 

この日から一週間後、大学のカフェテリアであのとき撮った写真を見せてもらったとき、ピアーズはひどく後悔した。
秋の紅葉は目に鮮やかで、見せてくれた写真はどれも美しく、クレイグがどんな表情でモノを見ているかが少しわかった気がするいいものばかりだった。
けれど、テーブルに並べられたどの写真よりも、真っ先に目が行ったのは例のツーショット写真。

「なあこれ…」
「ん?よく撮れてるだろ?」

そういってクレイグがニコニコと笑う。

「ダメだ、やっぱ没収」
「ほしいならやるけど、ネガはこっちにあるんでね。現像して思い出として部屋に飾っておくよ」

そういってピアーズをからかうように笑う。ピアーズはすぐさま写真を手に取り見つめた。

(だってこんなに、クレイグが好きだって顔に書いてある)
(こんなのが一生こいつの手元にも残るなんて)
(…道が離れて忘れようと願っても、忘れられなくなるに決まってる)

クレイグの最大の過失は、こんな写真をピアーズの手元に残してしまったことだ。
きっとこの先何歳になってもこの写真は捨てられない。隣で笑うクレイグの表情は、自分が世界で一番愛するそのものだから。
だからこのままずっと、手元に残して、そして忘れられなくなる。引き出しにしまっては大事に見つめなおすだろう。そしてそのたびにこの写真の中の瞬間同様、この男が好きだと強く思うのだろう。

目の前で写真を満足げに眺めるクレイグを、このとき以上に恨めしく思ったことはない。―――

 

そのときのことを鮮明に思い出して、つい写真に見入ってしまった。

しっかり通った鼻筋、青い瞳、まっすぐ見つめる視線、少し上がった口角、柔らかそうな金の髪、そのどれもが、ピアーズの愛するものだ。
そしてその隣にいる自分は、慌てていて、クレイグの横顔を見てしまったばかりにこんな間抜けにも恋をする青年の横顔そのもの。
写真を見つめていたピアーズを現実世界に呼び戻したのは、デスクの端に置いてあった携帯の着信だった。

呼び出し者の名前は「Craig Barraclough」。
自分の欲望が液晶画面に映っているのではないかとピアーズは疑って二度画面を見直した。けれど、名前の表示は変わらない。そっと通話ボタンを押して画面を耳に押し当てた。

「もしもし」
"あ、ピアーズか?いま大丈夫?"

珍しく強引さはない。落ち着いたトーンでクレイグが尋ねる。

「うん、大丈夫だよ」
"ならよかった。あー、えっと来週のさ、火曜日ってお前空いてる?"
「来週の火曜日?あ、待ってまずいかも」

卓上カレンダーを目で追う。もう来週の後半は3月にかかる。
来週の月曜日から始まるツアーのどれかにしようと思っているところだから、ちょうどここを発っている。

「ごめん、オレ来週の月曜日から旅行に行こうと思っててさ」
"ああそう、いや、ならいいんだ"

いつもは用意周到にこちらの予定がないのを確かめてから誘ってくるくせに。
ピアーズはなんとなくもどかしくなって、勇気を振り絞った。

「あのさ、お前ももし予定がなければなんだけど」
"ん?"
「…月曜日からヨーロッパに行く予定を立ててて。一週間くらいなんだけど。よかったら一緒に行かない?」

少し落ちた沈黙が怖かった。断られても急だったから仕方ないと自分に言い聞かせる。

"あー、ごめん。俺来週予定があるんだ、悪いな。気持ちだけ頂いておくよ。楽しんで"
「こっちこそ急にごめん」
"いや、先週誘われてたら絶対行ってた。お前とのお泊りデートだろ?"
「からかうなよ」

クレイグは電話口で笑っている。ピアーズは少しむくれながら、それでもこうしてからかわれるのがなんだか懐かしい。そういえば、春休みに入ってもうすぐ二週間が経つが、忙しいからとあまり連絡が取れていなかったのだ。だからこんなにも、電話一本で胸が締まるのだ、きっとそうだ。

"今何してんの?"
「その旅行のプランを練ってる」
"そっか。それなら邪魔しちゃ悪いかな"
「ん?」
"いや、最近お前と話してなかったからさ。5分くらい電話に付き合ってもらおうと思ってたんだけど"
「別にいいよ。でもなんか変な感じだな」

いつもしているはずの電話なのに、耳がくすぐったく感じる。
クレイグの低くまるやかで艶のある声は、体の芯まで届く気がする。

"まあ、いつもなら会って話すからな。わざわざ電話なんて、カップルかよって話だ"
「ホントだよ。お前は最近何してんの?また講演会とか?」
"そうだな、父親の助手で海外に飛んだりしてた。あとは大学の教授にも付き合って色んなところに行ってるよ"
「そっか、教授と親父さん、仲良いんだっけ?」
"そう。おかげで使いっぱしりにされまくってる"

クレイグがわざと呆れた風にため息をついた。それでもフットワークは軽いし、そういうことを嫌だと思っていないから引き受けているのだろう。
以前クレイグの家に行ったとき、ずいぶん母親に優しく接するようになっていたことから推察するに、父親との距離も同じように埋まっているのだろう。

「そっか、なんか充実してるな」
"まあね。こういうのは嫌じゃないし、勉強になる。いろんな国に行ったから、また写真送るよ。見てほしい"
「ありがとう、楽しみにしてる」

こんなやりとりもかけがえなくて、時間が有限であるという理をすら恨みたくなる自分がいることに気づく。

「そっか、海外か。だから連絡つかなかったんだな」
"心配したの?"
「別にそういうんじゃない」

春休み前にクレイグから突然、「これからしばらく連絡がつかなくなる」と言われたことを思い出して出た言葉だった。こういうことを言うとクレイグはたちまちからかってくる。

"ピアーズ君は俺がいないと寂しいか?"
「だから別にそういうんじゃないって言ってんだろ」
"…そうか。まあでも、それなら安心したわ"

少しの沈黙が気になったけれど、その真意を聞くことはできなかった。

"まあ、また落ち着いたら連絡するよ。あ、そうだ、お前の住所って前から変わってないよな?"
「住所?うん、変わってないけど」
"ならいい。じゃあ、また。旅行楽しんで来い"
「ありがとう、じゃあ」

ぷつりと切れた通話に、寂しさを感じるのはきっと自分だけだ。
毎日充実した日々を送っているらしいクレイグにはこの寂しさとは無縁だろう。

ピアーズはツアー雑誌の付箋をつけたページを開いて、来週の月曜日から始まる旅行に期待を膨らませた。

 

 

夜にひかれて 002 -Brent side-

 

「あのさ、ブレント」

後ろから急に声を掛けられて、自分でも情けないくらい肩が震えた。ゆっくり振り返ると、オレが待ち焦がれていた顔。

「…キャプテン、びっくりしましたよ」
「ああすまない」

キャプテンは少し気難しい顔をしていた。まあ、それはそうだろう。
きっとこないだの返事をくれようとしている。

「どうしました?」

出来るだけその警戒心を解こうと微笑んだ。キャプテンはそんなオレの顔を見て、ようやく少し口角を上げる。

「あのさ、今晩、だいじょうぶか?」

覚悟はしていたけれど、いざこうして誘われるとすごくドキドキするものだ。返事を聞きたいけど、聞いてしまうのは怖い。
それに、いまのキャプテンの表情からしていい知らせではなさそうだった。でも、ここで逃げていては仕方ない。

「…わかりました、じゃあ今日仕事が終わるの待っています」
「ありがとう」

オレが笑うとキャプテンも笑う。単純な人だ。

「あと、今日は他のチームとの演習だけど、チームは行けそうか?」
「一人、昨日の予行で怪我をしました。ただそれでも互角に闘えるとは思います。まあ今の時期仕方のないことですが…暑さでかなり体力を持って行かれてるようです。でもそれは向こうも同じですしモチベーションは悪くないので実力的にはいけるかと思います」
「…怪我をしたのは誰だ?」
「マックスです。敵チームとの折衝で肩を傷めたようで。昨日医務室に様子を見に行きましたが、数日経過を見て問題なければ復帰できるようです」
「そうか、わかった」

キャプテンは誰かが怪我をすると必ず見舞いに行く。チームメイトのことを、心の底から思っているのだろう。
キャプテンは硬い表情で俺の肩をポン、と叩くと部屋を出て行った。

 

 

 

「……ブレント?」
「どうしたんだぼさっとして。珍しいな」
「さてはお前とキャプテン、なんかあったろ?」

相変わらずアレックスは鋭い。炎天下でグランドに陽炎が揺らめいている。

「さっきからお互いチラチラ見ちゃってさ」
「え?マジかよ!なんかあったのか!」
「……いや、今日夜呼び出されてさ」
「へえ!とうとう来たかこの日が」
「明日のお前の顔つきで結果がわかるな」

アレックスとダニエルにからかわれる。でも、二人ともその目つきから心配してくれてるのがわかって心が和んだ。

「まあ、どうなってもお前が好きになった相手だ。悪いふうにはしないさ」
「そうだよ、ダリウスキャプテンだしな。安心してぶつかってこいよ」

ダニエルとアレックスに励まされ、残り3時間の訓練に身を入れる。そう、きっとキャプテンならどんな結果であれ悪いようにはしないはずだ。今後もお互いのポジションを守りつつ、そして戦場では絆を強めつついけるだろう。だが、それで困るのはオレの気持ちだった。気持ちがついていかなかったらどうしよう、もしダメならすぐに忘れたい。でも、キャプテンに優しくされたら忘れられなさそうでそれも怖い。

 

夕方の訓練も無事終わり、オレはアレックスやダニエルと共にシャワールームへ入った。汗を流すチームメイトと軽く挨拶を交わてはいるものの、予定の時刻が近づいてきて心臓は潰れそうなくらいだ。

「キャプテンの汗の匂いステキ~!…って感じ?」
「…相変わらず、呆れるくらいのバカだなお前」
「だってさっき汗だくのキャプテンとすれ違ったろ」

ダニエルが茶化す。こういうところも好きだ。オレがあからさまに緊張でガクガクなのを、コイツなりにほぐそうとしてくれているのだろう。

「ああんもうっ!ダリウスにいますぐ抱かれたいっ!とか?」

アレックスが後ろから俺の肩を掴んで揺さぶる。ああ、コイツ元々こんなキャラじゃなかったのに。すごいいい奴かもしれない。

「…キャプテンは、オレが抱きたいから却下」
「あーッ、そう来たかー」

オレも、昨日のダニエルが言ってたキャプテンがドMっぽいって話はあながち間違ってはいないと思う。
二人で話しているとき、時々見せる表情がなんか可愛いし。

「あと1時間でキャプテン来ちゃうっ!それまでに準備しなきゃっ!」
「あっ、やっぱりまだダメ!どうしても…どうしても息子が元気になっちゃうゥ!」
「…お前らさ、オレをどういうキャラにしたいんだよ…?」

アレックスとダニエルの馬鹿げた会話を聞いていると鼓動が落ち着いた。二人に真水のシャワーをかけるとはしゃぎながらやり返してくる。

「ブレント!このっ!くらえ!」
「真水とかマジかよ!いくら夏でもこりゃないぜ!」

シャワールームのつくりは荒くて、仕切りなんてない。広いタイル貼りの浴室にシャワーノズルがポツポツと取り付けられただけだ。ドアも古くて音が響く。

3人で遊んでいると、シャワールームを開ける音がした。気がつけば周りには誰もいない。

びっくりして皆で振り返ると、そこにはオレら以上にびっくりした顔で立ち尽くす両チームのキャプテン。

「……あっ、お疲れ様です!」

ダニエルがなんとか絞り出す。オレとアレックスもそれに続いた。

「お疲れ様です!」

一瞬キャプテンと目が合った。心臓がはち切れそうなくらいドキドキしている。オレらの馬鹿げた会話はどこまで聞こえていたのだろうか。穴があったら入りたい気分だ。

「お疲れ様」

キャプテンはクソ真面目な顔で返事をしてくる。
先に奥のサウナ室にでもいたのだろう。気まずい空気に押し流されてそのままシャワールームを後にする。

「……聞こえてたかな、オレらの会話」

アレックスがポツリとつぶやいた。

「マジごめんな」

ダニエルもシュンとしている。別にオレは二人を責める気はない。

「そんなの気にしてないさ。聞こえていようがいまいが今日の結果に変わりはないだろうし」

二人は上目遣いでこっちを見て、オレが笑うと二人も笑った。アレックスとダニエルがしょんぼりした姿は見たくない。
二人の肩を軽くたたいて頭から冷や水を浴びた。

 


「さ、準備してオレもそろそろ車の用意をしなきゃいけない」

キャプテンたちが出て行ったのを見計らってシャワールームを出、鏡に向かって髪を乾かしているとダニエルの楽しそうな声が聞こえてきた。

「おいブレント見ろよ!アレックスの奴!デケェ!」
「やめろよ!俺の息子を茶化すなよ!」

ダニエルが鏡に映る自分達の姿を利用してアレックスの股間を指差す。

「こりゃ女も満足だな!」

ダニエルが無邪気に笑う。小学生かよ、というツッコミは置いておいてとりあえず笑っておく。

「本当だデケェ!そりゃ女もたまんねえな!」

こんなふざけた会話をしながらオレたちの1日は過ぎて行く。勿論、戦場に行けば違うけど、ここまであけすけに物を言い合える友人がいるのは頼もしい。

「今日はブレントどんな格好で行くんだよ」
「いいよなー、お前はオシャレのセンスがあってよ。俺なんて何着ても同じに見える」
「それはダニエルに見る目がないだけだろ。別に普通の格好だよ」

ダニエルを適当に蹴飛ばしておいて、Vネックの薄手のシャツを着た。その上から紺色のジャケットを羽織る。前に二人で飲みに行ったとき、オレが細身のパンツを履いているのをみてキャプテンが似合っていると褒めてくれた。だから今日も、細身のパンツで行くことにする。

「よっ、イケメン!」

蹴飛ばされて倒れたままの姿でダニエルが笑う。本当にとことん馬鹿なやつだ。

「そろそろいい時間じゃねえか。行ってこいよ」
「ああ、そうする」

キャプテンはまだ上がって来ないようだが、早めに車を取りに行って待っていよう。駐車場までも少し歩く。寮の前にでもつけておけば楽になるはずだ。

「行ってらっしゃい」
「健闘を祈るぜ」

二人に見送られながら外へ出た。

夜にひかれて 001 -Darius side-

ロッカールームからはチームメイトの賑やかな声が聞こえてくる。
その中にブレントもいるようだ。同僚といるときのブレントは明るく愉快で、戦場で見る厳しい表情のブレントとは全くイメージが違う。まあそんなギャップに惚れたのだけど。

「訓練だりー。暑いんだよ、今日はよ」
「今日の最高気温何度か知ってるか?38度だってよ」
「暑すぎだろ。溶けちまうよ。ブレント、お前よく愚痴の一つも言わずトレーニングなんてやってられるな」

訓練終わりのチームメイトたちがだべっているようだ。今日はたしかに暑かった。俺もこまめに水分補給を促したし、隊員もみんなそれに従ってくれていた。
まあこんな暑い日には愚痴の一つや二つ、出るのは仕方がないことだろう。愚痴を言ってもやることはしっかりやってくれているのだし。

先日のブレントの告白を聞いてから、ブレントのことが気になって仕方がなかった。いや、元々惚れてはいたのに、バカな俺は動揺して「時間をくれ」なんて言ってしまっていたのだ。

『キャプテン、少し話があります』

そう言って連れて行かれたのは小洒落たレストラン。勿論俺はすごくドギマギした。まさかブレントから誘ってもらえるなんて思ってもみなかったからだ。
ブレントの車で移動したのだが、車に乗っている間は緊張してしまって仕方がなかった。二人の間に会話は少なく、ブレントに心臓の音が聞こえてしまいそうなくらいドキドキしていたのを覚えている。車の中でオシャレなジャズが流れていたような気がするが、緊張のせいであまりよく覚えていない。

店に着き、料理が届くとそれまでの緊張を忘れチームの話で盛り上がった。俺はよく酒も飲んだ。ブレントは車で来ているから、と酒は飲まなかったが。

帰りがけ、駐車場をブレントの後に続いて歩いているときだった。ブレントが急に振り返って、真面目な顔で切り出した。

『キャプテン、本題に入ってもいいですか』

その一言で忘れていた緊張感が瞬時に戻ってドキドキした。声が震えないように頷くと、ブレントがその鋭い瞳で俺を射抜いた。

『キャプテン、好きです。出会ったときからずっと、あなたのことが好きでした。俺と、付き合ってくれませんか?』

そう言ったときのブレントは本当にたとえようのないくらいかっこよくて言葉が出なかった。
そして、臆病な俺はその言葉を簡単に信じることが出来なかったのだ。

『…それは、本当か』
『ええ、神に誓って』

そう聞いたきり、黙ってしまった俺を見てブレントは少し困ったように笑った。

『キャプテン、いま無理に答えをもらう必要はありません。もし、いま何も答えられないというのなら、俺はいつまででも待ちます』

ブレントは俺に近付いてきて、俺の腕にそっと触れた。そして、きっと俺はさぞかし情けない顔をしていたのだろう、ブレントは俺の頭を撫でた。

『…少し、時間をくれ』
『ええ、わかっていますとも。いくらでも待ちます。だからいつか、あなたの言葉で聞かせてください』

ブレントはそっと車の助手席のドアを開けた。そして、少し切ない顔で微笑む。

『さあ乗ってください。今日は家の近くまで送ります。遅くまで付き合ってもらったので』

そう言われて助手席に乗り込んだところまでは憶えている。そのあと、気が付いたら家のベッドで眠っていた。テーブルの上に、ブレントからの短い手紙が置かれていた。

“ダリウスへ
今日はありがとうございました。
すぐに答えなくていいです。
明日からもまた、よろしくお願いします。

ブレント”

 

 


俺はロッカールームの奥にある会議室に用事があるのだが、なんとなく 楽しそうな空気を壊すのが嫌で入るのを躊躇われた。やっぱり、隊長という立場上、俺が入っていくと空気が張り詰めてしまう。
まだ時間もあるから、彼らの話に区切りがつくまで少し待っていようと思った。

ロッカールームは多くのロッカーが置いてあり、ドアをあけてもすぐには彼らの目に触れることはない。ベンチも所々に置いてあるから、そこで座って何か飲み物でも飲んで待っていることにしよう。

「で、最近ダニエルはどうなんだよ?」

ブレントの楽しそうな声がする。
姿は見えないが、ロッカールームは声が響くから会話が丸聞こえだ。

「いやまあそれなりに順調だよ、あんまり会えないから会えば毎回やってる」
「え、1日何回ぐらい?」
「いや、7回はやるっしょ」
「マジかよ!絶倫だな!」

なかなか過激な話をしている。余計に入っていきにくくなってしまった。ダニエルは南部出身の26歳で、とても体格に恵まれた男だ。元から元気な若者という印象があったが、下半身も随分元気なようで。俺は想像するだけでめまいがする。

「アレックスだってそれくらいは余裕だろ?」

次に話に挙がったのは、ブレントと同い年で顔立ちの整った男だった。性格は大人しい印象だが、同僚の前では違うのかもしれない。

「そうだな、でもまあそれも今のうちだけだ。歳を取れば誰だって1回や2回で満足するようになるんじゃないか」
「それも寂しい話だよな。でも女のほうだってとことん付き合ってくれるやつとそうでない奴もいるし。まあ今の彼女は元気だから最後まで付き合ってくれるけど、元カノは1回でもういいわって言ってたしな」

ダニエルが答える。そうか、まあ女も大変だよな。

「ってか、おまえら普段どんなプレイしてんだよ?」

ブレントが急に変化球を投げ込む。まあ若いし、そのー、なんだ。まあ仕方のないことだろうけどさ。

「え?普通だよ。まずはバックだろ、それから彼女に上に乗ってもらってさ。ああ、勿論口で奉仕はしてもらうさ」
「俺もまあ似たようなもんだけど。あっ、勿論ケツの穴も犯すぜ」

ダニエルとアレックスはあっけらかんと答えた。そこに最近配属になったブラッドの声も混ざる。

「俺はもっぱらアナルっすね。締まりがやっぱ違うじゃないですか。それに中で出してもリスクがないのが何よりですよね。やっぱ中出しは男冥利に尽きるというか」
「それはそうだな。俺は彼女にピル飲んでもらってるから中出しし放題だぜ」

普段俺とはなかなか喋ってくれないアレックスも、随分グイグイ来るんだな。やっぱり同僚と話をするときは皆変わるものだ。

「あー、やべえよ。こんな話してたらしたくなってきた」

ダニエルが笑いながら言う。まあ、結構生々しいし仕方がないことなのかもしれない。男所帯のBSAAは、寮暮らしということもあり性欲の発散場所がないし。

「本当だよな。毎日抜いてたあの頃が懐かしいぜ」

アレックスが笑う。ブレントとブラッドの笑い声もそこに混じる。

「そんで?ブレント、おまえはどうなんだよ。さっきから随分聞いてばっかじゃねえか」

ダニエルがブレントに問う。これは絶対ニヤニヤしながら聞いているに違いない。

「たしかに。おい、ブレント。おまえ、彼女いたっけ?まさかいないとは言わせねえよ」
「いやいや、彼女はいねえよ」
「おい、俺らの仲で嘘はよくねえな。とっとと白状するんだな」

ダニエルとアレックスに畳み掛けられて、ブレントは困っているようだ。俺までなんかドキドキする。

「うん、まあ好きな人はいる。それで、こないだ気持ちを伝えたんだけど、どうも信じてなさそうなんだよな」
「なんだって?じゃあまだセックスもしてないのか?」
「勿論。オレは嫌がる相手を無理に犯すほど鬼畜じゃないさ」

ブレントがそう言うと同僚たちは笑った。たしかにあの時だって、腕と頭に軽く触れたくらいでそれ以上を求めようとはしてはいなかった。

「はやくセックスに持ち込んじまえよ。お前ならどんな女でも大体誘えば行けるだろ?なんでやっちまわねえんだよ」
「いや、そんなことはないさ」
「で、どんな相手なんすか?」

チームメイトの畳み掛ける質問に、ブレントが苦笑いするのが聞こえた。ブレントは何と答えるのだろう。

「いや、さ。女じゃないんだ」
「なんだって?」
「まさか」
「驚いたなこれは」

三者三様の答えを聞いて俺も思わず苦笑いしてしまった。

「どうでお前、こないだ言ってた医務室のケイティの話に乗ってこなかったのか」
「なんだ?ケイティの話って」
「おいその話はもうよせって」
「いや、医務室にケイティってのがいるだろ?あの若いべっぴんさんがさ。こないだブレントが怪我して医務室に行ったとき、ケイティが夢中になっちまってよ」

ダニエルが続ける。ブレントが止めてもダニエルは止める気がなさそうだ。それに俺も初耳の話で興味がある。

「ケイティってかなり美人だし、俺たちと年も近くてモテるからブレントもてっきりその気かと思ったらさ。こいつってばデートにも行ってやらなくてな」
「それは仕方ないだろ」
「ケイティの奴、すっげーへこんでたんだぜ。いままで落とせなかった男なんてきっといなかったんだろうな」
「たしかに美人ですからね」

ダニエルが事の概要を述べるとアレックスとブラッドが興味深そうに頷いた。ブレントは終始困り顔なのだろう。

「それでよ。誰が好きなんだ?」
「おいおいダニエル、それを聞くのは野暮ってもんだ。俺はもう見当ついたね」
「俺もです。そう言われれば結構わかりやすいですよね」
「おいおい、俺だけかよ」

二人は見当がつくと言っているが、そこに俺の名前が出るかまだ不安なあたり俺はブレントの告白を100%信じていないのだろう。

「…キャプテンだよ。オレが好きなのは」

ブレントの声が聞こえてドキリとした。ああ、本当だったのか。心の底が震えるような感覚。

「キャプテンって、ダリウスキャプテンか?」
「ああそうだ」
「おいおいマジかよ!ううん、なかなかだな。…まあお前随分憧れてたしな」
「ダニエル、コイツ憧れてたなんてもんじゃないぜ。俺はよくブレントがキャプテンのこと見てたの知ってる」
「俺も、キャプテンと二人で話しているときのブレントさんの表情にあれ?って思ったことありましたもん。すっげー嬉しそうで」

アレックスとブラッドが付け足す。そんなこと意識していなかったけれど、訓練中よく目が合ったのはお互いの立場上の理由だけではなかったのか。少しずつ、嬉しい気持ちが湧き出てくる。

「っていうか!キャプテンってドMっぽいよな」
「わかる、ああ見えてベッドの上では、みたいな」

ダニエルの呟きにアレックスが笑って答えた。おい、俺はそんな風に見えてんのか。

「それで、どんなとこに惚れたんだよ」
「…うーん、どこっていうのはあんまないけどさ。全部好きだし」

ブレントがそう言うと周りがヒューヒューと囃し立てて盛り上がった。ブレントがおい待て馬鹿、と3人を制するが3人は楽しそうだ。

「それでそれで!」

ダニエルが急かす。

「いや、うーん、あのー、なんていうか、キャプテンさ、普段はめちゃくちゃカッコいいのに二人で話してるときはすっげー可愛いんだよ」
「なんだ可愛いって」
「うーん、なんていうか、無邪気に笑ったりしてさ。無防備な感じが堪らないというか」
「ああ、ギャップってやつか」

ブレントがポツポツと喋るのに、ダニエルとアレックスが相槌を打つ。こんなこと、俺の口からは聞けない。恥ずかしいやら嬉しいやら、複雑な気持ちだ。

「そんでさ、一回二人で飲みに行ったことがあったんだけど。その時にあの人、めちゃくちゃ酔っ払ってさ。弱音ばっか吐いてた。強そうに見えてナイーヴなところがまたなんていうか、オレの庇護心をくすぐるんだ」
「へえ!意外だな。可愛いところあるんだ」
「本当、意外ですね。それはたしかにキュンとするかも」

飲みに行ったのは憶えている。たしかにそのときはめちゃくちゃ酔っ払って。何を話したか憶えていないが、ブレントに弱いところを見せてしまっていたなんてな。

「…下世話な話さ、お前抜くときってダリウスキャプテンなの?」
「え」

思いがけないダニエルの質問にブレントが戸惑ったのがわかる。こっちも恥ずかしい。

「……うん、まあキャプテンだな」
「マジか!やっぱそうなるのか!」
「女の身体見てもチンコ反応しないのかよ!」
「…たしかに全く反応しなくなっちまった。でも、だからって男で抜くわけでもないんだ。元々は女が好きだったし」

…若さとは偉大だ。俺なんかブレントが好きでも、抜く習慣すらなくなってしまったしオカズがだれとかもう思い出せない。
ちょっと恥ずかしいけれど、ブレントが俺を性の対象としてくれているのがなんだか嬉しかった。

「でも抜いたあとすごい罪悪感だぜ」
「だろうな」
「その翌朝の会議で二人になったりしたら、もう爆発しそうに罪悪感がヤバイ」
「苦労してんな、お前も」

笑いが起きた。俺が一日の日課の中で一番幸福な時間が朝の二人での会議だったのだけれど。ブレントは真面目に話し合いをしている内側でそんなことを考えていたのか。

「で、返事待ちなのか?」
「そうなんだ。もう1週間になる。…もうダメなのかな」
「でもよ、朝の会議とかでは変わらず二人で話してるんだろ?」
「いや、最近キャプテンがお前らのチームのキャプテンと合同で話したがるから二人にはなっていない」
「警戒されてんな」
「だろ?もう結構メンタルがキツイ。こんなことなら言わなきゃよかったとか、思うんだ」
「うーん、…俺はさ、警戒されてんじゃなくて恥ずかしいんだと思うけど」

ダニエルが落ち込むブレントを励ましていたところに、アレックスが割り込む。
たしかに最近はあちらのチームと合同でやるようにしている。勿論それは気恥ずかしいからであって、二人になるのが嫌だというわけではない。だって二人になったら、俺はきっと何も話せなくなってしまう。二人でいると幸せだけれど、今は、この気まずい状態では、二人きりになる自信がなかった。
でも、そういう俺の臆病な行動がブレントを傷付けてしまっていたのだと思うと自分の小ささに嫌気がさす。

「俺はね、二人ってきっと両想いだと思うぜ。だってダリウスキャプテン、ブレントのこと好きだと思うんだ。視線もそうだし、二人で話してるときの表情も。そして何より、前に俺がキャプテンと話したときにブレントのことすげえ褒めてた。勿論、自分のチームメイトだからってのもあるんだろうけど、言葉の端々にそれだけじゃない感じがすげえ伝わってきてさ。なんていうか、女の惚気聞いてるみたいな気分になったぜ」

アレックスにはとっくの昔に気付かれていたのだろう。なかなか鋭いところがある。アレックスとブレントの話をした憶えはあるが、何を言ったのかは具体的には憶えていない。ただ、確かに俺がブレントを褒めるとしたらアレックスの言うようなことになってしまうだろうし。

「返事、もう少し待ってみろよ。きっといい返事が来るぜ」
「もう忘れてんじゃねーのかな。あの人」
「いや、それはねえよ。きっと不器用だから、なんて言えばいいかとかどんなタイミングで言えばいいかとか考えて時間が過ぎてしまっているだけだ」
「アレックスがこう言うんだ。自信持てよ、ブレント」

落ち込むブレントを2人が励ます。本当に、返事をするタイミングも掴めないし言う言葉もわからないだけなんだ。なんて言えばいいのか、全くわからない。
だけど、待たされているほうの身からしたらきっとかなり辛いのだろう。俺は馬鹿だから、ここまでブレントの本音を聞かないとそんなことすらわからないんだ。

「たぶんあの人はオレの言ったことを信じていないと思う」
「なんでよ」
「気持ち伝えたときに、信じられないって顔して、『それは本当か?』って言われたんだ。からかってると思われたらどうしよう」
「うーん、キャプテン確かに奥手そうだしな。困ったな。それでなんて言ったんだよ」
「まあ、本当だとは言ったけど。もしかしたらもう返事もらえないのかな」
「飯にでも誘ってみたらどうだ?」
「いや、オレからはもう何も仕掛けないよ。待ってるって言ったから」
「ふうん、まあお前も大変だな。ゆっくり返事を待ってみろよ。もし半年も経って何も言ってこないなら、そのときは諦めればいい」
「…そうだな」

思ったよりブレントの声に元気が無くて、俺まで泣きそうになってしまった。こんなに気持ちはブレントのほうを向いているのに、なぜブレントのことを悲しませなければならないのだろう。
俺はこっそり立ち上がってロッカールームを出た。
今日こそはきちんとブレントに返事をしよう。そうでなければ、彼をずっと悲しませ続けることになる。はやく思いを伝えよう。

 

飲み会にて


同じ飲み会に出たのは久しぶりだった。まだ片思いだった頃に一度、ベネットが来るからというので仕事そっちのけで直行したのもいい思い出だ。課の皆の顔が上気して赤くなり始めている。今日は早めに仕事を終わらせると言っていたのに、アイツはなにをやっているのだろう。

「先輩~!」

あちらこちらで俺を呼ぶ声がする。それは本当に嬉しい限りで、若手の育成というものはこういうところにやりがいを感じるのだ。つまり、やっただけ返ってくるということ。

「ベネットさん遅いですね!」

酔っ払ったベイジルが俺のグラスが空いているのを見て飛び跳ねた。

「あれ!先輩!飲んでない!珍しいです!」

ベイジルが笑う向こうからマルコの手が伸びてきてその頭をはたいた。

「はやく先輩にビールを差し上げろ!」

「あ~んもう~マルコさん痛いですよ~!」

マルコも酔っ払っているようで、そのままベイジルとはたき合いが始まってしまった。
マルコが持ってきた瓶から自分でビールをちょぼちょぼと足す。
ベイジルとマルコが我に返って俺に話し掛けてきた。

「ベネットさん何してんだろ、今日は先輩が飲み会来るからってあんなにソワソワしてたのにい~!」

「そうなのか」

「ベネットさん酷いんですよ!これやっとけあれやっとけってどんどん仕事任すんです!もうーなのに遅いとか意味わかんないですよー!」


ベイジルがグラスを持ち上げてそのまま一気に飲み干す。ベネットの思いもよらぬエピソードが聞けて少し胸が高鳴った。

「遅くなりましたー!」

ビールを飲み干そうとグラスを持ち上げたところで聞き慣れた声がした。

「あっ先輩!お疲れさまです!」

「おう、遅くまでお疲れ様」

そして他人行儀に挨拶してくる。俺も一応平静を装って返事を返した。

「俺もビールで」

ベネットがなんとなしに俺の前に座った。ベイジルは目をキラキラさせている。

「あれっベネットさんそんな感じでいいんですか!?待ちに待った先輩との飲み会ですよ!?」

「おいベイジル、」

ベネットがきっとベイジルを睨み付ける。ベイジルはヘラヘラ笑っていて、俺もつられて笑った。

「もー、そんな怖い顔しないでくださいよー。あんなに嬉しそうだったのにいいんですかあー?」

ベイジルの調子のよさにこっちまで可笑しくなってくる。ベイジルは酔っ払うととことん愉快になるタイプみたいだ。ベネットは届いたビールを一気に飲み干すとへらっと笑って言った。

「あーもういいや、先輩お疲れ様です。はやく会いたかったです」

「!?」

ベネットの目元が赤い。いやいや、酔いが回るのが早すぎないか。もうレッドゾーンなのか?

「おおー、出ましたベネットさんの大胆発言!」

「うっせーベイジルは黙ってろー」

ベネットまでヘラヘラ笑っている。なんだか愉快だ。新人のベイジルは物怖じしない性格だからベネットとも仲が良さそうだし、二人とも俺を慕ってくれているんだろうなと思わせてくれる。

「ビール!もう1杯ビールくださーい」

ベネットは楽しそうに手を挙げている。店員がそれを見て伝票に走り書きをし、そのままカウンターの中へ入って行った。他に客は少なく、ほぼほぼ貸切状態だ。

「あーもう最近だめっすよ、ブラウンと遊べなくてダメだ。落ち込むー」

完全にベネットが二人でいるときのモードに入った。ベイジルは相変わらず笑いながらそれをウンウンと聞いている。

「ですよねー、最近ベネットさん溜まってるって言ってましたもんねー」

「そんなこと言ってねー!捏造すんなバカッ!」

「じゃあ溜まってないんですか?」

「溜まってるよバカッ!」

あー、なんだこれ。
あれ、なんか空気感がおかしい。

「ちょっと待て、ベイジルは俺たちの関係知ってんのか?」

横から擦り寄ってベネットに耳打ちする。ベネットはアルコールで頬を赤く染めて振り向いた。

「えっ?あれっ?」

そしてベネットがポカンとした顔をする。これは、二人揃って新人に嵌められたらしい。

「ちょっとー。なに二人でコソコソしてるんですかー!」

ベイジルが絡んでくる。ちょっと待て、いまはそれどころじゃない。

「あれ、ベイジル、ねえ、オレ話したっけ?」

ベネットがベイジルの顔を見て首を傾げる。ベイジルは俺のグラスにビールを注ぎながらああー、と笑った。

「いや、おれのこと誰だと思ってんすか。それくらい察しますよー、やだなーもう」

おいおいおいおい、まじか。
ばれてんだ、あの鈍感でニブチンのベイジルに気付かれてるとなるとまずくないか。

「なんだよ知ってんのかよー。ふざけんな、もっとはやくいえよ。あー、もっと惚気ときゃよかったぜ」

ベネットが悪ぶる。端正な顔と言葉遣いのギャップになんかキュンとしてしまった。

「えー?先輩もベネットさんもまさか気付かれてないと思ってたんですか?」

マルコまで参戦してきた。おいおい、なんだこれは。周知の事実なのか?

「あのね、ばれてないなんてね、そう思う方がちゃんちゃらおかしい話なんですよって。なー、ベイジル」

「ほんとですよー、課の人たちは皆知ってますよー。二人もそれをわかっててやってんのかと思いましたー」

「ほんとそうそう、だって二人ともアイコンタクト半端ないわ、周りと空気感違うわ、倉庫で隠れてキスするわ散々なご様子で!」

「ねーっ」

「おまっ、新人のくせにねーっじゃねえッ!」

「うわあやめてくださいよう~!」

マルコとベイジルがまた二人でふざけ始めた。ベネットもベイジルの頭をはたいたりして楽しそうだ。
俺の心だけみたいだな、凍っているのは。
倉庫でキスって、どこだ、どこでしたのがバレたんだ?

「あー、ブラウン。愛しのブラウンよー」

完全に酔っ払いの顔をしたベネットが俺の肩に抱きついてきた。うわ、ちょっと待て、待てよ。これはまずい。

「ブラウンはねー、ほんとにかわいいんですよ毎日」

あ、終わった。これ、俺のイメージ崩れたわ。
ベネットが俺の腕の中に崩れ込んできた。なんか、あれ、やっぱすげえ愛しい。

「なんすかかわいいってー」

すかさずベイジルが茶々を入れる。こういうとこだけは反応いいよなあ、ほんと。

「お前ね、こう見えてもブラウンはとってもかわいいんだぜ。オレといるときは子猫ちゃんのように甘えてくるんだ」

ベネットがふざけてベイジルの顎を掴むとベイジルもそれに応えて目を瞑った。唇まで尖らせている。

「ダメダメ、オレがお前とキスなんかすると先輩怒っちゃうだろ?口聞いてくんなくなるぜ?」

ベネットはスレスレまで顔を近付けたと思ったらベイジルの鼻を摘まんで言った。ベイジルはなぜか大爆笑だ。


「あのブラウン先輩が子猫ちゃん!?口聞いてくんなくなる!?hey,マジかー。そういう感じかー!」

マルコまで大爆笑だ。完全に置いて行かれてる。

「もうね、ブラウンの可愛さ知ったらそんじょそこらの女じゃ抜けなくなるぜ?」

「ちょっと待てベネット、」

いつになく下ネタに走るじゃないか。

「料理も掃除も洗濯も出来なくて部屋はきたないし。でもまたそのダメっぷりがなー、オレの心を掴んで離さないんだよ」

「あー、『コイツはオレがいなきゃダメだな』って思わされてんだ、ベネットさん」

ベイジルが井戸端会議する主婦みたいな顔で頷く。
というか、ベネットがそんなことをおもっていたのが意外だった。いっつも部屋が汚すぎてあんなに怒ってるのに。『オレは家政婦じゃないんですよ!!』とかなんとか。

「もうね、ほんとそれよ。ブラウンはさ、職場じゃクソかっこいいだろ?もうこっちが憎たらしくなるくらいにさ」

ベネットはワインに手を出した。これは長くなりそうだ。

「わかるゥー。先輩、職場ではめちゃくちゃかっこいいっすよね」

職場ではって。「では」ってなんだ。

「だろ?それがオレと部屋に入るとこうよ」

ベネットは片手をぶるぶる振っている。本人にとったら何かのジェスチャーらしいが、周りはなんのことかわかったもんじゃない。

「あー、これっすね」

ベイジルまで手を振り出した。全く、なんのことやらさっぱりだ。

「あのブラウン先輩の貞操が~」

マルコが横槍を入れてくる。なにが貞操だ、俺は不特定多数の男とやるような男じゃないぜ。

って、別に男が好きなんじゃない。


「でさ、こないだなんてあれよ、おれが仕事帰りにうっかり連絡なしで遊びにいっちゃったらめちゃくちゃ寂しいアピールするメールが来てね」

「それでそれで~?」

ベイジルがワクワクした顔をする。ベネット、やめるんだ。お酒はおとなしく飲め、な?

「その場で帰ったよ当たり前だろ?」

「やっぱブラウン先輩は強いんすね~」

「だろ~?」

ベイジルがベネットのグラスにワインを注ぐ。ベネットはご機嫌さん、俺は暗澹たる気持ちだ。

「まあ合コンの数合わせだったしさ~」

「えっなにそれ聞いてない」

思わず口にするとベネットがニヤニヤした。

「言ってないですもん」

「なんで言わないの」

「ブラウン、怒るかなーって」

「そっ、それで。連絡先とか交換してきたのか…?」

ちょっと胸がドキドキする。女子って大変だな。

「まあ、2人とだけですよ。あとはクリーチャーでしたから」

「プライベートでまでクリーチャーと遭うなんてとんだ災難でしたね、ベネットさん」

ベイジルがドヤ顔だ。うまく言ったつもりか。

「それで、…連絡は…取っているのか?」

「ああ、来てますよ。今度一緒に出掛けるんです」

あっさりと認めやがった。なんだこれ、俺怒っていいのか?
あれ、…俺って、怒っていい存在なのか…?
ベネットはそりゃあイケメンだから俺が女でこんな奴が合コンに来たら間違いなく飛び付く。
合コンにいた女性陣は皆そんな気持ちだったんじゃないだろうか。

「そうか…」

「ブラウン…?」

心にどっと切なさが押し寄せる。ベネットは確かに好きだと、愛していると言ってくれるが俺には「彼女」とか「彼氏」というように、お互いの存在を定義する言葉が与えられていない。だから、これは浮気でも何でもないんだ。

「わかった、楽しんでな」

「ちょっ、ブラウン。あなた勘違いしてますよ」

「何が勘違いなもんか。わかってる、俺の立場も全部」

はあ、楽しい飲み会なはずなのになんでこんなことに。きかなければよかった。

「ブラウン、オレが連絡を取っているのは!」

「もういい!わかってる、別に俺に何かを言う資格なんてないしな」

俺がそういうとベネットは頭に来たのか俺の顔を両手で掴んだ。
ちょっと痛い。酒のせいでコントロールができないのかも。

「ブラウン、ちゃんと聞いてください。オレが連絡を取っている相手が、女だと思っているんですか?」

ベネットの真剣な眼差し。酒のせいで目が少し赤く潤んでいるが、その視線の強さは変わらない。ちょっと怒っているようにも見える。

「男です、その場にいた男と連絡を取っているだけです。女は皆クリーチャーだった」

そうか、そういうことか。
女だとばかり思っていた。女にはあって俺にはないもの、世間から見た二人の関係とか偏見とか全部が本当はすごく悔しかったんだ。
別にここは自由の国だ、同性愛を咎める風潮は少ない。それでも、ベネットは元々そういう性質だったわけじゃないと思うと胸が痛い
。いや、そりゃ俺もだけども。

「ブラウン、安心してください。オレにはあなたしかいないんです」

ああ、ベネットって馬鹿だよな。頭は切れるし俺の扱いはうまいけど、肝心なことをわかっていない。
俺は相手が女だって男だって心配なんだ。
はやくその言葉が欲しかっただけなんだよ。

「相手が誰だろうと、俺は心配だ」

「なに言ってるんんですか、ブラウン。馬鹿ですね、他の男も女も考えられないですよ。オレの恋人はあなたしかいないんです」

ベネットはいい男だ。俺の欲しい言葉をすぐに心の奥底まで届けてくれる。

「ブラウン、さ、今日はもう帰りましょう」


ベネットが優しく俺の手を取り俺を立たせる。

「いやいやいやいやちょっとちょっと!!なに二人の空気作ってんすか!皆超みてますし!こんな空気にして帰るとか!どんだけ図太いんですか!」

「ベイジルうるさい」

ベイジルが勢いよくベネットにたたみかけた。ベネットはすっかり醒めた顔でベイジルをあしらう。

「いやー、しかしいいものを見たな。かのブラウン隊長があんな顔をするなんてなあ」

マルコが自分の顎を撫でながら唸る。それで現実に引き戻されて周りを見ると、ベイジルの言う通り周りのチームメイトが一人残らずこちらを見ていた。


「いや、オレらは帰る。今日こそブラウンを連れて帰ってイチャイチャするんだ」

「いやー見せつけるだけ見せつけてその態度はすごいっすね。尊敬します」

「だろ?だから帰る」

「せめて空気元に戻してってくださいよ!」

「それはベイジル、おまえの仕事だ」

「あちゃー荷が重いなー」

ベイジルが額を抑えて呻く。
仲間は笑っていた。中にはナイスカップル!とか、お幸せに!とか声を掛けてくるやつもいる。みんな本当にいい奴だ。
ベネットはその声に手を挙げてこたえている。その様子がコミカルで、場はもっと盛り上がった。普段からムードメーカー的な一面があったが、こんな場面ですら笑いに変えてしまうのが本当にベネットのすごいところだと思う。

「じゃあな、よろしく頼むな」

ベネットがベイジルの肩を叩く。ベイジルは渋々、わかりましたよと頷いた。だが、口元はちょっと笑っている。

「じゃ、お幸せに。また明後日」

そうだ、あしたは休みだ。だからベネットも今日は珍しく飲み会に参加した。奴は真面目で几帳面だから、翌日に会議などの重要な業務があるときの飲み会には来ない。

「ベイジル、今度何か奢るぜ。後は頼んだ」

ベネットがあんまりにもスマートに俺の手を握る。皆がわっと沸き立つのがわかった。俺は恥ずかしくて顔もあげられない。

「ブラウン、…行きましょう」

ベネットが俺のほうに振り向く。
そして視線を上げた俺と目が合うと、優しく目を細めた。

「ブラウン…」

細い指が俺の顎を持ち上げ、ほんの一瞬くちびるが触れた。
そしてその瞬間、静まり返ったかと思ったら、すぐに面々から声が飛んできた。

「はやく帰って続きやってくださいよー、ここではこれ以上ダメなんで」

ベイジルがニヤニヤしてベネットの背中を押す。俺もベネットに手を引かれて出口に近付いた。

「皆、ありがとな」

俺がそう言うと皆から温かい拍手をもらった。ベネットの横顔も笑っていた。今度こそ、手を挙げて別れの挨拶に代えた。

【1-4】アイデンティティを刻む


「あまり銃声も聞こえませんね」
「まだ互いの様子を探っているんじゃないか?」
ナイトビジョンを装着しながらウィルが囁く。ナイトビジョンであれば暗闇でも敵がいれば白く浮き上がって見えるが、それもない。レイフも裸眼であたりを伺っているようだ。
「ウィル、攻めてもいいか?」
「…勿論。どこまでもついていきます」
そういうとレイフはわざと上空に向けて発砲した。二発撃つと、そのままウィルにしゃがめと指でサインを示す。
陸軍の所長がレイフの参加を快諾したのも、こういう刺激を催すためだろう。陸軍の訓練生は守りに入ることが多い。
「お前はここでライフルを構えていろ。俺は少し侵攻する」
「わかりました」
ウィルはスコープの端にレイフを捉えながら辺りを見回した。遠くに一人、こちらを狙う同じくスナイパーの影を見つける。
素早くレイフに無線を飛ばした。
「こちらウィル、狙撃許可をください。前方2時の方角です」
”わかった。そちらへ俺も侵攻する。背中は任せたぞ”
「任せてください」
”いい返事だ”
ウィルは答えながら的確にナイトビジョン内にいた敵の頭を撃った。そしてその向こうに見えた影も正確に撃ち抜く。その音に気付いて寄ってきたのか、レイフの侵攻方向の先にもう一人いるのを見つけた。
「ベックフォード隊長、その奥にもう一人います!」
”ありがとう、そいつは任せろ。逆の方角にいないか確認を頼む”
「オレの位置から確認できるのはあと隊長の眼前の敵だけです!」
”了解。こちらへ集合してくれ”
「Yes,sir」
ウィルは急いでライフルを担ぐと崖を滑り降りた。


「残り人数は9名か…バディを失ったのが何人かいるというわけか…」
「そうですね。ここから探し出せるでしょうか?」
二人は大きな崖下で束の間の休息を取っていた。いいサイズの岩に向かい合って腰掛ける。広い土地の中から9人を探し出さなくてはならない。この夜間の視界で、どう探し出すというのだろう。
「だが、探し出すしかないだろう。じゃなきゃNo.1は獲れない」
「…ええ」
ウィルは内心不安だった。この闇の中でどこから狙っているかもしれない敵に気を巡らせるのに疲れてきたのもある。ナイトビジョンがいっそ眼球にも付いていたらいいのに。ウィルは足元の石ころを蹴った。
「…あー、この間の合同演習のときエリオットに聞いたんだが、…陸軍に誇りを持てないんだって?」
「…ええ。オレは国益を守るために戦うんじゃないと、思っています。でもトロイアは、オレたちを海外との交渉の手段にする」
ウィルは躊躇いなく吐き出した。合同演習からつもりに積もったものがあったのだ。口にしてみると思いのほかその事実が重くのしかかり、現実味を帯びてくる。
レイフは顎に手をつけながらうんうんと頷いている。そしてひと呼吸置いてからウィルに投げかけた。
「…そうだな。そうかもしれない。お前は、何がしたいんだ?」
「…オレは、ずっと軍人家系で育ってきたから、軍人になるのは当然だと思ってきました。…でも、それは当然ではなかったし、目的がないまま進むのは困難です。現に、いまのオレは成績も水平を保ったまま上がりも下がりもしない」
誰にも相談できないまま、ここまでズルズルきた。ヒューズは弱音を吐かないウィルを褒めてくれたから、ヒューズには何も言えなかった。そしてたまに帰省しても、陸軍での活動を聞かれるだけでやはりなにも言えない。そんな自分が、本当にやりたいことは何なのだろう。いつか訓練のあと、一人でトレーニングをしている間に考えた。それは。
「…オレにとってはまだまだでっかい夢ですが、…ちゃんと世界を守りたい」
口にしてみると、とても呆気なく、馬鹿馬鹿しく思えた。ウィルはその響きが消えるのを黙って耐えた。レイフがなんと言うか、それを聞きたくない。だが、ウィルのそんな心中をよそに、レイフが大きく息を吸った。
「…ウィル」
「…はい」
「…俺たちの、T-SATに来ないか?」
目があったと同時にウィルに投げかけられた言葉は、とても一度では理解しうるものではなかった。ウィルは目を逸らすことも、理解することもできず、しばらく無言で息を止めた。
「…急な話だからな、…いや、すまない。ただ、お前ほどの人間をここに置いておくのは勿体無いと思って。…こんなことを言ったら、陸軍に失礼かもしれないが」
そういって首を振るレイフを、ウィルはいまだに黙って見つめている。さすがにおかしいと思ったのだろう、レイフがウィルの名を呼んだ。
「…あの、ベックフォード隊長」
「ん?」
「…すいません、もう一度言って頂けますか?オレ、うまく理解できなくて…」
ウィルが戸惑った表情で言う。それをみてレイフは軽やかに笑った。そして、ウィルの頭を撫でながらその目をしっかりと見つめ。
「ウィルフレッド・ブラッドバーン、俺と一緒にT-SATに来い」
「…Yes,sir」
ウィルの返事を聞くのを待たずにレイフからの熱烈なハグを受けた。ウィルもつられて熱い抱擁を交わす。
「良かったよ、お前からその言葉が聞けて。お前を引き抜くのは大変だったんだぞ?何せ陸軍のエーススナイパーだからな。全く、何度ドミニク所長に掛け合ったことか」
レイフが盛大に笑いながら教えてくれる。そう言われてみればウィルにも思い当たる節があった。
この夜間訓練の前、一度所長に呼び出されたことがあったのだ。名目は成績優秀者との語らいだったがその際、ドミニクはウィルにこう問うたのだ。
”いまの陸軍のあり方と、本来あるべきあり方と、おまえがなりたい理想像はなんだ”
それにウィルは迷うことなく先ほどレイフに返したものと似た回答をした。陸軍にケチをつけることを快く思わないことは承知だった。だが、そのウィルの予想に反して所長は柔らかく微笑んだのだ。そして”自分の思うようにしなさい”と言ってくれた。そのことが、ここに繋がっていたのだ。
「…ベックフォード隊長、ありがとうございます。言葉が足りなくて…こういうときなんて言ったらいいか…」
「そんなものはいい。とにかくこの夜間訓練で首位を取らなきゃ、ドミニク所長に顔向け出来んからな。行くぞ」
「ハイ!」
ウィルは目の前を走るレイフの背中を隠しきれない笑みのまま追った。

翌日、生還者として二人の名前が挙げられたのは言うまでもない。

 

 

 

 

※「君が大人になる前に」に続きます。

グラスを傾けて

 

久々の二人での夕食に心が沸き立つのを感じる。最近は仕事が忙しく、悠々と食事を取ることすらままなかなかった。

包丁の切れ味はいい。丁寧に皮を剥かれた野菜を一口大の大きさに切り分け、鍋に放り込んだ。

不器用な上司は、よく料理なんてできるな、と苦笑いしていたが、フレディは料理が嫌いではない。基礎をきっちりやるとそれなりの味のものが出来る喜びがある。そして何より、愛する者の好きな味を自らの手で作り出すことが出来るのも料理をする者だけに与えられた嬉しい特権だ。

今日も疲れた顔で帰って来るのだろう上司に、彼の大好きな料理を食べさせてあげたいと思うのはきっと親心と似ている。
上司に対して親心だなんてちゃんちゃらおかしい話だとフレディ自身も思うが、それでも彼の上司には万人の心に潜む庇護心を煽る節があった。

訓練が順調に終われば、そろそろ帰ってくる頃だろう。鍋の中の料理が、そのお披露目を今か今かと待っている。

フレディはまだ帰って来ない上司を待ちながら、ヨーグルトとフルーツを混ぜた。これがあるのとないのでは、夕食後の彼の機嫌が変わる。
全く、子どものようではないかと心で笑いながらも、彼が喜ぶ姿を見るのは好きだからこうして一生懸命準備しているのだ。

遠くから車が近付く音が聞こえてくる。上司の愛車の音だ。じきに部屋に上がってくるだろう。

フレディは料理を温め始めると、頬が緩んでいる自分に気が付き照れ隠しに思わず頬をぶった。

 

 

「戻ったよフレディ、遅くなって済まない」
「おかえりなさいチーフ。今日の訓練もお疲れ様でした」

フレディは玄関まで出迎えるとその手に上司の荷物を受け取る。上司は鍵をしめながら、まるで女房のようだなと笑った。

「チーフ、今日はあなたの好物を作りました」

廊下を歩きながら、少しだけその手の甲に触れた。ひんやりとした手の甲は、この上司が急いで帰ってきてくれたことを教えてくれる。

「おいおい、こんなときまでチーフと呼ぶのはやめないか」
「ああそうでしたね、…アルフ」

二人は声を揃えて笑った。リビングルームは暖房で温まっている。アルフは満足げにフレディの頭をポンと撫でるとテーブルを覗き込んだ。

「おっ、うまそうだな」

テーブルを見るアルフの目が輝く。それを盗み見たフレディも思わず少し笑った。

「本当にもう。子どもみたいですね」

ジャケットを脱ぐアルフの背後からジャケットを受け取りながら、フレディが言うとアルフは眉を上げた。

 「なんだって、とんでもない。愛する者の作る料理を目の前にして喜ばない男はいないさ」

中に着ていたシャツを豪快に脱ぐとアルフの逞しい肉体が現れた。男らしい筋肉のつき方が羨ましい。フレディはアルフの背中を眺めるのが好きだった。

「いいなあ、こんなに綺麗に筋肉がついて」

フレディは思わず口を尖らせる。筋肉のつき方は体質もある、と諭されてもなお羨ましい気持ちからは解放されなかった。

「おいよせ、汗で汚れている」

フレディが背中に唇を寄せるとアルフが慌てて身を翻した。

「汚れているなんてご冗談を。俺が触りたいんです」

「……待てフレディ。せっかくだから先に君が作ってくれた料理をいただこう。冷めてしまうよ」

アルフが悪戯に笑うとフレディにも自然と笑みが零れる。今日と明日はゆっくりできるのだ。時間はまだたっぷりある。

「いただきます、うれしいよフレディ。ありがとう」

「いえ、どうぞ召し上がれ」

見つめあって笑う。アルフがどれから食べようかと迷う姿もまた愛らしい。本当に子どものような人だと、フレディは思う。

「ああ、迷ってしまうな。どれもとても美味しそうだ」

「当たり前です。あなたの大好物ばかりですからね」

「それにお前が作ってくれたからな」

アルフの笑い皺が深くなる。瞳には優しい光が宿っていた。
フレディが好きな笑顔だ。愛されていることが実感できる。

「親愛なるアルフ、誕生日おめでとうございます」

フレディがシャンパングラスを持ち上げると、アルフが驚いたように目を見開いた。

「ああ、そうか。今の今まですっかり忘れていた。ありがとう、フレディ」

アルフも急いでシャンパングラスを持ち上げる。二人で傾けたグラスにはきめ細かな泡がのぼっては消えていった。

 

 

【1-2】アイデンティティを刻む

 

――――「本日このような合同訓練の機会を与えて下さったレイフ・ベックフォード隊長に感謝して、挨拶の締めとさせて頂こう」

陸軍中部支部長の挨拶が終わり、合同訓練の時間が近づくにつれて一層訓練生たちの熱気が上がっていく。ウィルはそれを肌で感じて、自身も言葉に出来ない高揚感に満たされていくのがわかった。
開式を終え、その場で待つように訓練生たちに指示が飛ぶ。
ここからはそれぞれのポジションによって分かれて訓練を行うため、ヒューズとはここでお別れのようだ。

「…フレディ・マックス…ウィルフレッド・ブラッドバーン。よし、これで全員だな。俺は●147チームのフェリックス・エリオットだ。君たちと同じように後方支援を行うポジションを担っている。これからの訓練の責任は俺が負うから、怪我はするなよ」

エリオットは頼れる兄貴分といった風体で、豪快に笑った。7名のスナイパーたちはみな恐縮し切っている。

「じゃあまずは射撃場へ移動しよう。っと、地図をもらったんだが俺は動き回る方じゃないんでね…。えっと、…誰かわかるやつ、ウィルだったか、このA-58の射撃場へ行きたい、案内してくれ」
「はい」

案内したA-58の射撃場は遠方射撃専門の射撃場であるため、縦に長くほかの訓練場から少し離れたところにある。到着するとそれぞれ自分のライフルを取り出して、列をなすようにエリオットの前に並んだ。

「じゃあ、…とりあえずお手並み拝見ということで、見せてもらおうか」

一同が声を揃えてハイと答えると、エリオットは訓練生たちが真面目なのを面白がるように笑った。

「全く、陸軍ってのはみんな真面目なのかねえ。よし、じゃあまずはそれぞれ1セットやってもらおうか」

そういうと訓練生たちはそれぞれのレーンにライフルとともに入った。動く的を50mの距離から狙撃する。15分間で100の的が入れ替わり現れるのでそれを何発当てられるかを競う。

「みんな準備できたかー?」

エリオットの声に、全員が声を揃えて返事をした。エリオットはまたそれに少し笑いながら、レバーを引いた。
レバーを引くと全員の的の表示にカウントダウンが表示され、0になると同時に射撃演習が始まる。

「よし、君たちの健闘を祈る!」

その声と共に、一斉に射撃が始まった。

 

そのあといくつかの訓練をこなし、午前はすべての行程を終えた。
昼食を食べ13時になると、午後からの実践演習に備え最初いたグランドに一同集合していた。
ここからは異なる役割を持ったメンバーを揃え、実践と同じように隊を組んで演習を行う。

「これからうちの者が該当者を呼びにいくから、それまでその場で少し待機しておいてくれ。悪いな、不手際ばかりで」

レイフがマイクでアナウンスをした。陸軍の訓練生たちは言われたとおりじっとその場で待機している。そこへT-SATから派遣された隊員たちが訓練生のフルネームを呼びに来て、呼ばれたものから各部隊に入る形だ。

「ウィルフレッド・ブラッドバーン」

緊張の中、姿勢を崩さないように待っていると今日よく聞いた声が自分の名前を呼ぶのに気づいた。顔を上げて返事をすると、エリオットが人懐こく笑いながら近づいてくる。

「また俺で悪かったな。よろしく頼むぜ」
「いいえまさか!こちらこそお願いします」

午前の訓練で見せてくれたエリオットの狙撃の腕は、スナイパーとして訓練を積む8人にとって憧れそのものになった。狙いを定める速さ、確実に急所を見定める知力、そして必ず仕留めるその腕はさすがと言わざるを得ない。

「じゃ、この名簿にあるメンバー集めて来てくんねえかな、ちょっと打ち合わせがあるもんで」

そういって手渡された紙には同じ陸軍の隊員たちの名前が並ぶ。そこにはヒューズ・ブライアントの名前もある。ウィルはヒューズの元に駆け寄り、手分けをしてメンバーを揃えた。

「それで、エリオット隊長は?」
「打ち合わせに…」

訓練生が全員集まったところで辺りを見回す。するとレイフと話をしているエリオットを見つけた。

「あ、まだ打ち合わせ中かもしれないな…」

そういったところでこちらをふと見たエリオットと目があった。
そうするとエリオットも全員集まったのに気がついたのかレイフに挨拶をしてこちらへ駆け寄って来た。

「悪いな、遅くなって。あ、自己紹介をしよう。俺はフェリックス・エリオット、T-SAT●チームののスナイパーだ。これからの演習では稚拙ながら君たちの隊長を務めさせてもらうから、宜しくな」
「ハイ!」

集められた訓練生5名は皆揃えて返事をした。それを見てまた、エリオットが笑う。

「じゃあまずは、それぞれの自己紹介を頼む。この中で訓練生同士、知らない奴らはいるの?」
「いえ、全員顔見知りです」

ウィルが率先して答える。

「そっか、なら俺に向けてになっちまうな…。悪いけど簡単に宜しく。合コンじゃないんだ、キメる必要ないからな?ラフに、…こう自然体に頼むよ。じゃ、君からいこうか」
「ハイ!ヒューズ・ブライアント、陸軍第一小隊所属、」
「ちょっと待ち。さっき言ったこともう忘れたか?ほら、ヒューズ、もっと気楽に行こうぜ。背中任せるモン同士仲良くなくちゃ、信頼も出来ねえだろ?名前と年齢、あと…そうだな、恋人の有無なんかも言ってみるか?」

そういってエリオットに背中をポンと叩かれると、ヒューズは照れて笑った。そして大きく息を吸ってもう一度言い直す。

「ヒューズ・ブライアント、20歳です。…えっと、恋人は20年間ずっといません!」
「よしよし。次、ネビック?」

手元のリストを見ながら、エリオットが指名する。

「はい!ネビック・ゲイリー、同じく20歳で恋人は枕です!」

エリオットは笑いながら楽しくそれぞれの自己紹介を聞いているようだ。
エリオットには人に好かれる気の良さと後輩を惹きつける安心感がある。ウィルは、将来自分もこんな風にして後輩をもてなすことができるだろうかと考えた。
鼓舞したり叱咤したりする以外の方法で、後輩と信頼関係を築く方法を見せてくれるエリオットが、酷く尊い存在のように感じる。

「ほら、最後。ウィル?」
「ハイ、ウィルフレッド・ブラッドバーン、20歳。恋人はライフルです」
「ハハ!お前らしいな!そうでなくちゃ」

エリオットから特大の笑いを引き出すことに成功したようだ。エリオットがぐっと背伸びをして訓練生たちの顔を一通り見た。

「じゃ、行くか」

ウィルはその場であたりを見回したが他のどの隊よりも足並みが揃ったように感じた。T-SATのメンバーはレイフだけでなくみなカリスマ性を持っているように見える。自分もいつかそんな風になりたいと、さっきから羨望や憧憬、それに類似した感情が胸に押し寄せて耐えない。それは幸せでもあり苦しくもある。

「じゃあ、まずは戦略でも練っていきましょうかね」

エリオットの声に一同が引き締まる。ウィルも真剣に告げられる動きに耳を傾けていた。

「ウィル、索敵班の動向もよくチェックしておけよ」
「ハイ」

演習開始から二時間ほど経っただろうか、エリオットチームの侵攻班近くで銃声が響いた。
索敵班のネビックとヒューズ、スナイパーとして後方支援のウィルとエリオット、侵攻班のダンとデリク。それぞれ二名ずつ一つの班になって戦場での役割を担う。
索敵班は敵の位置を探り、仲間が負傷することのないようアシストするのが仕事。接近攻撃の要となる侵攻班はその情報を元に歩を進め、スナイパーはそれを支援しつつ自らも攻撃を専門として侵攻班とともに双璧をなす。
索敵班は主に侵攻班のアシストを行うため、スナイパーは自ら安全な場所を確保しなくてはならない。だから逆読みをして索敵班の現在位置から敵の位置を割り出す能力も要される。

「敵がいたら迷わず頭を狙え。いいな?訓練弾だから躊躇うことはない」

ウィルはエリオットと並んでライフルを構えているが、エリオットは後ろを気にするそぶりを見せない。すべてを聴覚に任せているのだろう。
「ハイ」
ウィルが頷いたところで耳元の無線がザザ、と音を立てて通信を拾った。
”こちら索敵班ヒューズ、エリオット隊長、ウィル、敵の一部がそちらに気付いて狙いに行った模様です。ご注意願います”

「はいよ。ウィル、移動するぞ」
「わかりました」

エリオットは軽々と重量のあるライフルを担いで段になっている斜面をトントンと降りていく。全くあたりを警戒する様子はないが、警戒していないということはまずないだろう。ウィルはその後を追う。少し進んだところでエリオットがピタリと歩を進めるのをやめ、少し離れたところにいるウィルにハンドサインで敵在りと示した。そして手にしていたライフルを立ったまま構える。
ウィルは内心慌てた。あのライフルは通常接地で使う。その衝撃を立ったまま受け止めるなんて想像したことがなかったからだ。だが声をかける間も考えを巡らせる間も無くエリオットが二発、敵に素早く撃ち込んだ。ドサリと葉の上に人が倒れる音が続けて聞こえたから命中したのだろう。

「エリオット隊長そ、」

言いかけてエリオットの前方に同じスナイパーが銃を構えているのが見えた。エリオットもそれに気づき振り返ったがそれよりも先にウィルのライフルが弾を放った。

「…さすがだな。サンキュ」
「…いいえ。それより、さっきの」

敵はなんとか落としたようだ。それにしても、エリオットがあのライフルを立ったまま使ったことに、まだウィルは驚きを隠せないでいる。

「ああ。T-SATはちょっと荒っぽい集団だからな」
「やっぱりそれ用に鍛えたりしたんですか?」
「いや、…だがまぁレイフ隊長と俺くらいしかやらないから、共通することっつったら体格くらいしかないんだろうな。お前も鍛えれば出来るさ」

そういってエリオットは二三度頷いた。

「ベックフォード隊長もやるんですか?」
「ああ。むしろあの人が最初だぜ。いまはやらなくなっちまったけどな」
「何故です?」
「他のやつが同じことをやって怪我したんだよ。責任感じてな」

二人は小声で話し続けながらも林間を歩いた。

「そうだったんですか…」
「確かに狙いはブレるかもしれねえが、俺らの敵相手じゃ動きの素早い奴もいるし、どこが安全かなんてわかりゃしない。だからわざわざ接地して使うよりずっと効率性も安全性も高いと俺は個人的に思ってるんだけどな」
「…オレもあなたみたいになりたいです」
「T-SATに来てくれるなら、考えるんだけどなー」

ニヤニヤと試すようにエリオットが笑う。そうしていてもあたりに神経を巡らせているのはウィルにもわかった。

「こんなこと言うのはいけないことだってわかってますが、…オレは国防、国益のために戦う陸軍より、世界の安全を守るために戦うT-SATへの尊敬の念の方が大きいです」

躊躇いがちに口にしたのは本音だった。自分の実力ではT-SATは遠い夢だが、最も尊敬するのはT-SATだった。

「言ってくれるねー。そんなT-SATも偉いモンじゃないが、でも人には恵まれてると思うよ」

そう語るエリオットの表情は柔らかい。それは本音なのだろう。
ウィルはさらにT-SATへの憧れを強めるのだった。