紙ヒコーキ

年下攻め若干多めのBL小説サイトです。毎週日・火・木曜日更新です。現在は大学生モノを連載中ですが、今後は軍事モノにも手を出す予定・・・。耽美な雰囲気と文章力向上をめざし日々精進です。

バスルームに誘わせて

久しぶりの二人での食事を終えると、フレディは立ち上がってコーヒーを入れた。今日は少し疲れているようだから、柔らかめのカフェオレにしよう。
マグカップを用意していると不意に後ろから腕を回された。

「フレディ、ありがとう。すごく美味しかったよ」

ちょうどへその辺りにアルフの手が握られている。首筋にかかるアルフの吐息がくすぐったくなり、フレディは少し体をよじった。

「こちらこそ、お粗末様でした。あんなに幸せそうな顔で食べてもらえて本当に光栄です」

フレディが真剣な顔でそう言うと、アルフは彼の頭に手を置いて笑った。

「俺は世界一の幸せ者だな」

アルフの心底幸せそうな笑顔を見てフレディも胸があたたかくなった。アルフは正直者だ。思っていることが全て表情に出る。
フレディはお湯の湧いた音を確かめて、電気ポットに手を伸ばした。

「オレの方が幸せでしょう。わが組織の英雄と一緒にいられるんですから」

思わず本心から出た言葉だったが、アルフは少し不満そうにした。過去の実績から、組織の中でアルフを英雄扱いするものも少なくない。もちろん組織に入った当時のフレディはそんな彼を尊敬していたし、本当に英雄だとばかり思っていた。でも、彼はそう呼ばれるのが好きでないようだ。もう歳も若くないのに表情だけは子どものようで、フレディは慌ててその言葉を訂正する。

「勿論、それだけじゃないですよ。アルフ、あなたのような心から愛せる人と出会えたのがもう奇跡みたいだ」

フレディが言い聞かせるようにことさらゆっくり話すとアルフはちらりとフレディを見て笑顔になった。本当に表情豊かな男だ。

「そんなことより、風呂に入らないか」

アルフがそう言うのと同時に、フレディはマグカップにお湯を注ぎ終えようとしていた。フレディの動きが固まる。アルフはその様子を見て首を傾げた。

「ちょっと遅かったみたいだな、風呂に入っている間にコーヒーが冷めてしまう」
「いや、入りましょう。というか、あの、一緒に入っていいんですか?」

フレディは赤面している。アルフはそんなフレディを見て赤面がうつったようで、二人して頬を染めた。

「何を言うんだ今更。普段は皆で入っているじゃないか」
「いや、あの、そうなんですけど。こう、二人きりで入るのって、あの、初めてなので、つい」

しどろもどろになるフレディを見てアルフも慌て始める。頬は赤く染まったままだ。
自然に誘うはずだったし、フレディだって自然と受け入れてもらえると思っていた。フレディがこんなに恥ずかしがるとはアルフにとっては少し意外だった。

「いや、あーその、フレディ、……お前が嫌ならいいんだ」
「とんでもない!一緒に入りましょう!」

アルフが眉をひそめるとフレディが手を握ってきた。アルフは思わず握り返す。

「…広くて自慢のバスルームなんです」
「…わかった、それなら先に待っているよ」

何度かフレディに風呂を貸してもらったことがあるが、確かに広くて素敵なバスルームだった。そういうところに無頓着なアルフは、こんなところにこだわるのかと新しい世界が開けたような気分になったのを覚えている。

「承知しました、バスタオルなどはこちらで用意します」

急に改まった言葉遣いになるフレディを微笑ましい気持ちで見る。女にモテそうな顔立ちの割りにはウブで、いつも真っ直ぐな彼を見ていると心が洗われるようだ。

「ああ、頼むよ」

アルフがそう言ってバスルームに姿を消すと、フレディは大きくため息をついた。胸が高鳴ってうまく呼吸が出来ない。こんな気持ちになるのは久しぶりだ。
アルフが言うように、普段訓練の後なんかによく部隊の皆でシャワーを浴びる。男同士の裸の付き合いというものだ。しかし、あのアルフと二人きりで、しかも自分の自慢のバスルームでともに時間を過ごせるなんて思ってもみなかったことだった。
今までは、何度か泊りに来ても一緒にシャワーを浴びたことはないし、それが普通だと思っていた。

「こんな日が来るなんて」

フレディはぼそりと呟くとカフェオレもそのままに、バスタオルを探し始めた。

 

【12】フレイム 2003.3.16 -Piers side-

 

 

”ピアーズへ

この手紙が届く頃には、ヨーロッパから帰ってきているでしょうか。

俺がこの先、第二のライフステージを過ごすことになるドイツは、お前のそのプランに含まれていたかな。
俺はこれから、親父の学んだ大学に通うことになる。
留学という名目だが、おそらくそのままその大学病院で勤務することになるから、次そっちで腰を落ち着けられるのは当分先だ、もしかしたら10年以上かかるかもしれない。

だから俺の人生において出会えてよかったと思える友人の一人であるピアーズへ、こうして柄にもなく手紙を書いてみている。

筆を執った理由はそれともう一つ。
お前に謝りたいことがあるんだ。
俺は出会ってからこれまでの約5年間、お前にたくさんの嘘をついてきた。
たとえばこの間の電話だってそうだ。火曜日、俺はドイツ行きの便に乗った。それまでの間、親父の助手や教授の手伝いなんかしてないよ。ずっとドイツで新居探しと、学のための論文を書いていた。
ずっとお前に本当のことを言おうか迷ってたんだ。でも、俺がいなくても寂しくないって言葉を聞けたから、俺は安心してドイツに発てます。

お前が好きそうな写真をいくつか入れておくよ。もし気に入ってくれたなら、部屋にでも飾ってやってくれ。
また、感想を聞かせてくれると嬉しいです。


お前の親友、クレイグより”

 

 

ピアーズの胸がどくんどくんと激しく脈打った。そして無意識に、電話端末へ手を伸ばしダイヤルする。
二三度ベルが鳴った後、それは留守番電話へと切り替わった。

「…もしもし、オレ、…ピアーズだけど。あんな手紙だけ寄越すなんてお前何考えてんの…?…いや、…ごめん。…電話ください。…待ってる」

歯切れの悪くなった自分の声が耳に残る。すぐに電話を切った。そしてもう一度手紙を見る。便箋と一緒に封筒の底に落ちていたのは、4枚の美しい写真だった。

 

 

 

”クレイグ・バラクロフ

結局電話をくれなかったこと、オレは少し恨んでいます。
忙しいなら無理にとは言わないけど、せめて一言お前の言葉で聞きたかった。
お前がいなくなって一ヶ月半が経つから、オレの方は少し慣れたよ。毎日のように飯を作ってくれたり一緒にジムに行ったりする奴がいなくなったのは、正直言うとかなり寂しいです。

ジムの受付の人にも聞かれたよ。コンラッドにも、オレ以外のみんなは見送りに行ったことを聞いた。みんなよりも仲がいいと思っていたのはオレの自惚れだったんだな”

そこまで書いてピアーズは前髪をくしゃりと掴んだ。こんな風に恨みつらみを書いたところで、クレイグがここに戻ってくることはないとわかっているのに、何の相談も

話もなしにドイツへ渡ったクレイグがどうしても許せなかった。
春が嫌いになりそうだ。

 


ーーー高校の頃の担任が結婚するというので先週、高校に戻った時。

コンラッドたちと一緒に屋上に登った時にはさすがに涙が出そうになった。クレイグと初めて会話を交わした場所。

コンラッドは何かを察したのかエルバートとユージンを連れて屋上を降りてくれた。
桜の花とその香りがピアーズを過去へと誘う。その瞬間、とてつもなくクレイグへの思いを自覚した。溢れ出して止められない。

どうしたって諦められない、もう一生会えないかもしれない。クレイグは向こうで素敵な女性と出会い、いやもしくは大学を卒業しシェリルを娶るかもしれないし、ピアーズが思っていても、クレイグに会う気がなければもう会えない。

いつでも連絡を取れるはずだった携帯の番号も頼りにならなかったし、手紙に記されていたのは近くの郵便局の名前。自宅の住所ではなかった。

ドイツへは行ったことがないし、どうしたって運命を信じられないピアーズにとってはもう一度クレイグに会うのは星を掴むほどに難しいことだと感じていた。


花びらが舞い上がる。青い空に薄紅色の桜の花びらは軽快で、何にも縛られていない。
なのに自分は、こうしてクレイグへの思いに縛られながら、それでも飛び立ちクレイグに会いに行くこともできずただこうして地面にうずくまっているのだ。
惨めな思いと、それでもクレイグを思うのをやめられない心の叫びが、ピアーズをより苦しめる。

今までずっと報われない恋だとわかっていると思っていた。それなのにどうしてかクレイグが優しくするから、時には自惚れてみたり、その優しさに甘えたりしてきた。それは今思うと、幸せな恋だったのだろう。そばにいてくれること、背を向けずに手を伸ばしてくれること、微笑みかけてくれること、心配して夜に駆けつけてくれること、それはすべてとてもかけがえないものだった。なぜ今までそれに気づかずにいたのだろう。
本当に報われないのは、背を向けられてしまった自分だ。もう会うことのできないという事実だ。

「ピアーズ。大丈夫か」

気がつかないうちに、遠慮がちな笑みを浮かべたコンラッドが自分の肩に触れていた。

「…悪い…」
「いや。俺の胸で良ければ貸すんだけど」

そういって柔らかく微笑む。冗談にしてはタチが悪い。そんな風にからかうのはクレイグだけだったから。
何も言えなくなってしまったピアーズを見て、コンラッドが困った風にため息をついた。

「あいつ、最後までピアーズのこと気にしてたよ。俺は言ったら見送りにも来てくれるから言ってみろって言ったんだけど、あいつそういうところ頑固だろ。たぶん、ピアーズには最後にかっこいいところ見せたかっただけだ」

コンラッドが優しい口調で告げる。
あのときクレイグが言ってくれたなら、自分は何をもキャンセルして見送りに行ったはずだ。それでも、今のような心の靄に悩まされることには変わりない。だから見送りのことはもうどうでもよかった。それよりも、先に何も言わずに自分の前を去ったこと。
自分がその程度だったと言われたら頷くしかない。泣いて泣いて、毒をすべて吐き出したら時間が癒してくれるのを待っただろう。
それなのに今は、吐き出せない嫌な毒が、指に刺さって抜けない棘のようにいつまでもピアーズの心を蝕んでいた。

「手紙、来たんじゃないか。必ず書くって言ってたから。それに返事してみればいいんじゃないかな。きっと喜ぶよ」

コンラッドは隣で静かに変わらず柔和な笑みをたたえている。
きっとピアーズを不安にさせないためだ。そして向こう側の手には、キャンディーを握っているのが見えた。子どもじゃないと主張しても、中学の頃からピアーズをあやす時のコンラッドの常套手段だった。

「…コンラッド、気付いてたのか」
「そりゃあ、ね。俺そういうのには鋭いんです」

そういって軽く笑って見せた。コンラッドには何も隠せない。でも、だからこそ安心してこういうときに隣にいてもらえる。

「あいつこれからあっちの大学編入して院までいって、そのまま向こうの病院で働くって言ってた。たぶん世話になった親父さんや周りの人に報いるためだと思う。…でも、そういうの全部消化しきったら、その日のうちにこっちに戻ってくる気がするよ、俺は」

何の根拠もないのに、コンラッドは自信満々にそう言って空を仰いだ。

「お前はもうクレイグに一生会えないかもしれないって悲嘆に暮れてるかもしれないけど、あいつはそうじゃないかもしれない。ほら、しょげてる暇はないんじゃないか。手元にないなら掴みに行けばいい」ーーー


あのときコンラッドに背中を押され、一度は心を決めたと思った。
それなのに、少しでも精神が不安定になるとこうして筆をとってみても中々送れるものにならないのがジレンマだった。
気持ちを知られるのが怖いのか、いや違う、その上で拒否されるのが一番怖い。けれどこうして何もできないままぐずぐずしている時間もない。この恋の本当の終わりをみるためには、拒否されるしかなかった。

 


”クレイグ・バラクロフ

ドイツでの生活には慣れましたか。
オレは先週、担任のマーカス先生の結婚式とそのパーティに行きました。たぶん便りは届いてると思う。
高校の屋上にのぼって、初めてお前と会った時のことを思い出したよ。
覚えてるかな、覚えてくれていたら嬉しいんだけど。

前留守電残したんだけど、聞いてくれましたか。
あれから連絡がないのは、オレとの縁を切りたいか、それとも何かの事情なのかはわからないけど、オレはお前とまだ親友だと思ってる。
だから、こうしていま手紙を書いてる。

写真、綺麗でした。
本当はこの目で見たいけど、それよりクレイグがくれる写真の方がきっと、綺麗なんだろうな。
また、よかったら送ってください。

ピアーズ”


当たり障りのないことしか書けない自分を恨む。
けれど、きちんと連絡が欲しいことは伝えた、まだ繋がっていたいと恨み言を言わずに書けた。それだけでも上出来だ。
最初に書いた手紙を丸め、ピアーズはペンをテーブルに置いた。
これを送って、答えを待とう。
クレイグの答えを聞くまでもうジタバタしないと決めた。そしてこの恋に、決着をつける。
ピアーズは封を閉じ、切手を貼って席を立った。

 

【2-4】君が大人になる前に

 


翌朝は思っていたよりすっきりと起きられた。眩しい朝の光がウィルを照らす。
冬の朝陽は弱く、温度も低い。ウィルは布団から出るとそのまま歯を磨いて顔を洗った。もう頭の中で今日一日のプランを考えている。


午前中に買い物を済ませてそれから支部でトレーニングをし、帰宅したら読みかけだった本を消化して一日を終えよう。なるべく何もしていない時間はなくしたかった。

ウィルの部屋は簡素だ。家は訓練のない日にたまに帰って寝るだけで、実際は殆ど寮で生活をしている。親が泊まりに来ることもあるがそれも殆どなくなってしまった。それでも寮だけで事足りると思っていた以前とは違い、いまはこうしてあの上司の姿を見なくて済む場所があってよかったと思うこともあった。

ウィルはバッグに練習着と財布を詰め込み、ニットにコートを羽織ると玄関を出た。外は寒く、日差しの恩恵は期待できそうにない。
階段を降りると愛車のバイクに霜がおりているのを見つけた。それをバイクの中に入れておいたタオルで拭き取るとそのまま乗り込み、アクセルを踏んだ。


買い物を終え、そのままロッカールームに荷物を置いて着替えを済ませた。そしてトレーニングルームへの廊下を、外を眺めながらぼんやりと歩く。この季節になってもまだ、葉が落ちない木もあるらしい。
「おい」
ウィルの耳に響いて来たのはどこか懐かしい声だった。
「お前、もしかしてウィルか!?」
「サイラス…!?」

振り向くとそこには、高校時代の旧友の姿。白衣を着た、あの頃と変わらぬ聡明そうな顔立ちは、ウィルの感情を高ぶらせるのには十分すぎた。

「なんでお前こんなところにいる?陸軍に行ったんじゃないのか!?」
「お前こそ!T-SATにいたなんて!」

二人とも相手に尋ねるばかりで答えにならない。どちらともなくそれがおかしくて笑い出した。

「通りで連絡がつかないわけだよ」
「お前これから時間あるか?」
「これからトレーニングに行こうかと思って」
「俺も付き合うよ、積もる話がありそうだ」

サイラスは眉を上げて笑った。ウィルの様子から何かを読み取ったのだろう。元から勘の鋭い奴だったが、それは歳を取るにつれてさらに敏感になっているらしい。
ウィルに並んでサイラスが歩き出す。

「あっちに行こうとしてたんじゃないのか?なんならトレーニングルームDに行くから用を終えてからでもいいのに」
「いや、ちょっと一服してこようかと思ったんだがお前がいたんでそれで一服とするよ」
「ふうん。いまは司令部に所属してんの?」
「そうだがその中でも医療チームだ。お前は部隊か?」
「ああ」

サイラスの声は低く耳障りがいい。ざらざらしているけれどどこか艶がある。
高校時代も女性からの人気が高かったのはその優しく整った顔立ちと、文武両道だったところにあるのだろう。

「だよな。噂では聞いてたんだ。新人があのレグレスに入ったって。しかもベックフォード隊長の引き抜きで。名前までは聞いてなかったけど、それお前だろ?すげえな」
「ああ、そうかも。でも隊長にはもうそろそろ見放されそうだよ」

ウィルがため息をつくと、それをみてサイラスも気持ちのトーンをあわせてくれた。その場の空気が変わる。

「大丈夫だ、我がストゥウィッチ高校の英雄はそんなことで落ちぶれたりしないさ」

ウィルもサイラスも、高校時代は体育祭でダブルヒーローと言われるほどに活躍したことのある選手だった。サイラスはバスケット部、ウィルは水泳部でそれぞれキャプテンを務めており、競技にはその身体能力を買われて引っ張りだこだったのだ。そして必ず二人のいるクラスは優勝すると囁かれており、サイラスもウィルも、それを自負していた。誇りに思っていたのだ。

「それがここにきて、T-SATってのは超人の住むところだと思ったよ」
「ああ、ここにいるやつはだいたいちょっとおかしい奴が多い。やたらに身体能力が高かったり、頭脳明晰だったりってな。俺も大学は飛び級してここに来たけど、ここの研究ってのは凄いよ。世界が知ったら驚くどころか自らの研究に失望した何人かの研究者は首吊っちまいそうだ」

トレーニングルームは底冷えしていて、それに身震いしたサイラスがエアコンをつけた。急に寒いところで筋肉を動かすことが怪我につながるとよく知っているのだろう。

ウィルがストレッチを始めると、隣でサイラスも白衣を脱いだ。そのまま何事もなく並んでストレッチを始める。暗い色のニットとタイトなブラックのスキニーであることは意にも解さないらしい。

「それで?何があってさっきはあんな泣きそうな顔してたんだ?」
「…お前には隠せないな」
「ああ。洗いざらい話してみろ。いまに笑える話にしてやるさ」

ウィルはストレッチをしながらこの数ヶ月であったことを話した。陸軍から引き抜かれたこと、訓練についていけなくて落ち込んだこと、エリオットのアシストで大人の女性と付き合ったこと、レイフと衝突したこと、そして昨日失恋をしたこと。

「…それで、いまは何も考えたくなくてこうしてる」
「なるほど。激動期だったな」
「ああ。色んなことがありすぎて生き急いでる気分になるよ」

ウィルはランニングマシーンに飛び乗った。隣でサイラスもそれに便乗する。

「でも、これからは少し、訓練に集中すればいいんじゃないか?お前がその女性に惹かれたのも、元はと言えば訓練で思った成果が出なかったからだ。お前の話を聞いてると、訓練で成果をあげれば全てが解決するような気がするな」

ウィルは黙り込んだ。サイラスのいうことも一理ある。だがそれだけで、本当にこの先虚しさに押しつぶされることなくやっていけるだろうか?

「ま、お前の心がけ次第だけどさ。辛くなったら何でも聞いてくれる奴がいるって分かれば、いままでよりはストレス溜めずに過ごせるんじゃないか?…そうなら嬉しいんだけど?」

少しおどけた風にサイラスは語尾を上げた。
その言葉には何故か、妙な信憑性があって、ウィルは頷かざるを得なかった。

「…そうかも、しれないな」
「俺もいまは彼女もいないし、お前にとことん付き合ってやれる」
「珍しいな。どうしたんだ?」
「仕事に精を出したくてね。次に付き合う人は奥さんにするくらいのつもりで付き合おうと思ってるんだ。少しくらい心が寒いからって誰かを焚き火代わりに使うのはやめた」
「むしろそう思ってたのが驚きだよ」

サイラスと話をしていると気が楽になる。それはやはり、高校時代を共にした信頼関係もあるのだろう。

「今日はトレーニングが終わったら飯でも食いに行こう。懐かしさを通り越してお前が愛しいよ」
「いくらお前でも男はごめんだ」

ウィルはエアコンを切った。もう十分に身体は温まっている。そして心も。昨日まであんなに張り裂けそうだったのに、自分でも単純だと思う。それでもサイラスの存在はそれほどに大きく、またウィルの心を動かせる存在でもあるのだ。

「俺は掘ってやることならできるけど?」
「お前な…。…もしかして経験済みか?」
「俺は来るもの拒まずなんでね。付き合った人はみんな愛してきたつもりだけど、お前の話を聞いた後だとやっぱりまだ俺は本当の愛に出会えてないのかなって気がしてきたよ」
「奇遇だな。オレもお前と話していて、彼女のことを本当に愛していたのか久々の恋愛に酔っていたのかわからなくなってたとこだよ」

いまなら思う。確かに彼女が違う男と寄り添って歩いていたのをみたのはショックだった。だが、それは自分が認められていないと自覚したからかもしれない。

「本当の愛ねえ。自己陶酔のない愛ってのはどんなもんなのかねえ?」
「さぁね。そんなこともわからないようなんじゃ、愛を語るのはまだ早いってことだろ。オレはしばらくいいよ、お前のいう通り、訓練に集中するさ」

ウィルは首を振った。本当にもうしばらく恋愛は懲り懲りだ。前向きになれた頃に自然に出会えればいい。

「そうだな、俺もそうだ。いまは仕事が楽しい。色んな発見があるし、いま手元でやってる作業がのちに世界を救うと思うとたまらなく興奮するんだ」
「オレにもし何かあったら助けてくれよ、その世界を救う研究で」
「勿論」

頷くサイラスを笑って流す。もうすっかり心の闇は取り払われた。

「友人ってのは偉大だな…」
「なんか言ったか?」
「いや、なにも」
「ふうん?」

ウィルの呟きはマシンの音に消えた。

 

 

【2-3】君が大人になる前に

それからは物事がスムーズに進むようになった。訓練もエリオットが言うようにあれからすぐに慣れてきて、レイフにも褒められるようになった。

「今日、隊長に褒めてもらえたよ。最近調子いいなって」
「よかったじゃない」
「…セシリーのおかげだ」

そういって彼女の裸を抱きしめる。彼女の肌は吸い付くようになめらかでいつまでも触っていたくなる。

「ねえセシリー、今度映画を見に行かない?オレ、観たい映画があるんだ」
「…映画は部屋でくつろぎながら観たいの。私、映画館のような箱は嫌いで」
「…そう。仕方ないね」

納得出来なくても、セシリーの前では飲み込むしかない。彼女はウィルよりずっと大人で理性的だ。ウィルはいつも物分りのいいふりをしながら、彼女にとって一番の理解者であり続けようとした。だから彼女の趣味である読書はもはや自分の生活の一部にもなっていたし、時々最近読んだ本の話をすることも多くなった。また彼女は音楽にも造詣が深く、たびたび休日にウィルを連れ出してはオペラを聞きにいくのだった。これはウィルにとっては苦行だった。聞くのならばピアノジャズやオーケストラの方がいいと思ってはいたが、終演後彼女の選ぶ美しい言葉で告げられる感想を聞くのが好きで付き合っていただけだ。

「…ウィル、あなたはもっと若い人と恋をするべきよ」

時折口走るその言葉が、一番聞きたくなかった。

「どうして?」
「…あなたは私と一緒にいるべきではないわ」

いつもと同じ応酬を繰り返す。それでもその先は、ウィルの口が塞いでしまうから聞けないでいた。いや、その先を聞くのが怖いのかもしれない。
ウィルはこの頃いつも、自我のひとつ手前の層で意識が動いているように感じていた。それでも、それ以上に踏み込もうと思えない、甘い毒にかかって思考が停止していく。言葉がすべて、深い思慮なしに放たれる感覚だった。だがウィルは、それをひとつ大人になったのだと思い込んでいた。大人になったことでいちいち考え込むことなく、言葉が出て来るのだと。それがどういうことなのかは、深く考えることもなく。
彼女の肌に幾度とキスを落とすウィルは、部屋の外でしとしとと降り続く雨にも気が付かなかった。

 


翌日の午後は、訓練域を使った実地演習の予定だった。しかし昨晩から降り続いた雨のせいで訓練域に土砂崩れが発生。みなで会議室に待機し、レイフと司令本部の判断を待っていた。

「ウィル、彼女とはどうだ?」
「ええ、普通にやってます」

そういうと一瞬エリオットは目を細めてから笑った。

「そうか、そんなにうまくいくなんて俺も思ってなかったよ」
「オレもです」
「お前も少しずつ大人になっていくのかねえ」
「いいえ、まだまだ」
「みんな、待たせたな」

ウィルの言葉を遮るようにして会議室のドアが開き、レイフが入ってきた。会議室内に一瞬緊張が走る。

「今日の実地演習は中止だ。この先雨も降り続くようだから、室内トレーニングに切り替える。先にトレーニングルームBへ各自移動しておいてくれ。俺は後でいく」

それだけ早口で言うとレイフは足早に会議室を出て行ってしまった。みんなが一斉に話し出す中、ウィルだけは会議室を飛び出した。

「ベックフォード隊長!」
「…ウィルか」

ウィルはレイフを呼び止める。エリオットはウィルの後を追って来たが、廊下の曲がり角で聞き耳を立てることにした。

「どうして今日の演習中止なんです!実際はこういうときもあるでしょう!」
「思ったより土砂崩れが酷いんだ。このまま演習を行ったら犠牲者が出かねない」
「ですが、こういうときこそそのような訓練をするチャンスなのではないですか!?」

ウィルは食い下がる。レイフは急いでいるようで、少しずつそれが顔に出て来ていた。

「…お前はどれくらいの確率でこんなひどい雨の日のテロがあると思ってるんだ?しかもわざわざあんな林間で、土砂崩れが起きている状況下で。それをよく考えろ。そんな万が一の可能性に対して隊員を失うようなリスクを負うつもりはない」

レイフにしては強い口調でウィルに言い切った。ウィルは押し黙る。

「いいから早く、トレーニングルームへ移動しろ」

レイフはそれだけ言ってウィルに背を向けた。大股で歩いていくところを見ると、何か他の事件が起きているのだろう。

「くそ…!」

ウィルが舌打ちをする。エリオットは声を掛けるのをやめて、一人先にトレーニングルームへ向かった。

 

 

「セシリー、今日行ってもいい?仕事で嫌なことがあったんだ」
”ダメよ、いきなりは無理って前も言ったじゃない”

ウィルは白い息を虚空に吐いた。冬の街は一層華やかだが、一人には堪える。早くセシリーの温かい肌に包まれたかった。

「どうして。少しでいいんだ、君の顔が見たい」

そういいながらふと前を見ると物陰で電話をしているセシリーを遠くに見つけた。ウィルは息を飲んだ。こんなところで会えるなんて嬉しいハプニングだ。ウィルは驚かしてやろうとわざとセシリーの視界から外れるように遠回りして歩いた。

”ダメなの。いま外にいるから”
「なら家で待ってるよ、それでもダメ?」

ウィルは内心楽しくなってわざとごねた。そうしながら少しずつ近づいていく。

”ダメよ、…あ、電話を切るわ。じゃあまた、次の金曜日ね”
「えっ、ちょっと!」

ウィルは慌てて顔を上げ、セシリーの方を見た。細身で背の高い男が、セシリーの腰に手を回しているのが見える。
その瞬間、ウィルは悟った。自分が不倫相手だったのだと。自分との恋は遊びだったのだと。
自分のような若い男より、いまセシリーの隣にいる中年の、風格と余裕のある男こそが彼女の隣にいるべきだったのだ。自分はずっとただの片思いだった。
彼女の左手薬指には見慣れないリングが光っている。
電話を切ってそのままなにも考えないようイヤホンを耳に押し込んだ。そしてよく聞くロックの音量をいつもより上げて流す。

「くそ…!」

部屋に着く頃にはその頬はぐっしょり濡れていた。内側から悲しみとも憎しみとも形容出来ない感情が次から次へと湧き上がって来る。
ウィルはそのままベッドに潜り、歯を食いしばって泣いた。

 

 

【2-2】君が大人になる前に

 

「ウィル!遅いぞ!!」
「ハイ!」

陸軍の訓練時代は得意としていた基礎訓練も、S-SATの中では全く歯が立たなかった。入隊してから一ヶ月が経とうとしているのに。

「もっと早く!そんなんじゃ敵に追いつかれる!」
「ハイ!」

後ろからレイフが発破をかける。陸軍で一緒に訓練をした優しいレイフの面影はない。それもレイフなりに考えて、そう接するようにしているのだろう。ウィルもそれをわかっていたからレイフに悪いあたりをしたことはない。

戦時を想定し、積荷を背負いながら坂道や階段を登る訓練は、ウィルが陸軍当時から不得手にしていた訓練の一つだった。それにしても最下位を取ることはなかったし、むしろ陸軍の中では殆どの成績が上位だったのに、ここに来てそれが全く通じなくなっている。
積荷は陸軍より重くなり、連日厳しい訓練で身体の疲労もピークを超えた。心身の疲れが精神の健康に影響を及ぼすとしたら、いまのウィルが極度に落ち込むのも無理のない話だった。

「エリオットさん」
「ん?どうしたウィル」

ロッカールームでちょうど二人きりになったタイミングを見計らい、エリオットに声をかけた。

「あの、少し相談したいことがあって…」
「…わかった。じゃあ着替えてお前の部屋に行こう」

そう言いながらエリオットは豪快に汗で重くなったTシャツを脱いだ。

「いえ、オレが行きます」
「あー、…いや、ちょっと外に出ようと企んでるんだ。俺の行きつけの店で話を聞くよ」

エリオットは優しい。きっとS-SATに関する話を内部でするのは憚られると思ったのだろう。

「ありがとうございます」
「じゃあ、…15分後に玄関に集合な」
「わかりました」

ウィルは一礼してその場を去った。

 

 

「で?どういったことなんだ、相談したいことって」

エリオット行きつけの店というのは落ち着いた大人の雰囲気のバーだった。
そういったところにウィルが来るのは初めてで、店に入る前は些か緊張したがいまは店内に流れる緩やかなピアノジャズのおかげでその緊張も解けている。
エリオットは慣れた様子でウィルの分の酒と料理もあわせて注文し、落ち着いたところでこちらに問うてきた。

「…それが、訓練のことで」
「その話は俺でよかったのか?」
「…ベックフォード隊長は、オレの直属の上司です。オレに厳しくしなくちゃと思ってるところがあるので、いまオレが隊長に相談したところできっと隊長は迷ってしまうから…」

ウィルが俯きながらそういうと、エリオットはウィルの頭をくしゃくしゃと撫でた。

「お前のそういうところ、隊長もわかってると思うよ。本当にお前は訓練も頑張ってるし、みんなにも気を配ってるし。俺がお前くらいの頃と比べものにならないな」

エリオットの豪快な笑いが、ウィルの心に灯をともしてくれる。
ウィルはなんて返していいか言葉が見つからなくなってしまった。それに気付いたのか、エリオットが慌てて助け舟を出してくれる。

「ああ、悪い、話を拗らせちまった。それで?」
「すいません…オレ、自分にどんどん自信がなくなっていくんです。陸軍では通用していたことが、ここでは通じない。もう1ヶ月も経つのに全く訓練についていけなくて、…本当にオレがここにいていいのかって、毎晩思うようになってしまったんです。…せっかくベックフォード隊長がオレをここに呼んでくれたのに、隊長を裏切るみたいで…。オレは隊長が思うような人間じゃなかったんだって、自覚するのも、隊長にバレるのも、怖くて…」

ぽつりぽつりとウィルが落とす言葉にはここまで思いつめていた灰汁が淀んでいた。ウィルが話しながら俯いていくのが、エリオットの目に辛く映る。
エリオットは少しの沈黙を保った後、ゆっくりと口を開く。

「お前は、どっちのが怖いんだ?隊長に思ったような人間じゃなかったって思われるのと、自覚するのと」

できるかぎり優しい口調でエリオットは問うた。ウィルは少しの逡巡のあと。

「隊長にそう思われたら、オレはここじゃ生きていけない」
「隊長にそう思われる方が怖いんだな。それなら心配しなくていい、あの人が人の本質を見間違えることなんてない。100%だ」
「どうして100%なんて…」
「レグルスは隊長が他所から引っ張ってきた奴らばかりだ。そいつらを見ていればわかるよ。それに、お前は気付いてないかもしれないが、入隊一ヶ月であそこまでついていけるやつはなかなかいない。前所属が海軍だったやつなんか、隊長の訓練にようやくついていけるようになったのは半年後だ。お前はあと一ヶ月もすれば、やっていけるよ」

エリオットの自信に溢れた表情に、少し気持ちが浮上する。エリオットは根拠のないことは言わないと、この短い付き合いでもわかるからだ。

「お前は少し真面目すぎるんだよ。もっと肩の力抜け」
「いえ、オレなんかまだまだ…」
「お前陸軍の訓練で彼女いないって言ってたな?今もか?」
「ええ。訓練もろくに出来ない奴が女性にうつつ抜かしている暇はありません」

そうウィルが答えるとエリオットは唸りながら頭をかいた。何かがエリオットを悩ませているようだ。

「お前なぁ、そんな風に考えてるから行き詰まっちまうんだよ。女性との付き合いで少しは心も解れるだろ。ほら、あそこにいる女性に声かけてこい。一人だし、美人だ」

そういって指差したのはバーカウンターにいる一人の女性だった。二十代後半から三十代前半に見えるが、その容姿は端麗で、知的な雰囲気のある女性だった。

「いえ、オレは…」
「いままで女と付き合ったことは?」

エリオットは女性から目を離さずに尋ねる。

「一度、高校のときに…」
「ならokだ。よし、俺が声かけて来るから、そのあとは任せるよ。幸い明日はオフだ」
「あっ、エリオットさん!」

ウィルの声も届かないようで、バーカウンターへ向かって行ってしまった。そして少し何やら話してから、女性をこちらのテーブル席へ連れてきた。

「こいつがウィルフレッド・ブラッドバーン20歳です。年下の男はお好きですか?」

エリオットが女性に尋ねる。その声にはどこか艶があって、ウィルはいきなりムードのある映画のスクリーン前に座らされた気分になった。

「素敵な目をしてるわ」
「でしょう。でも少し今悩んでいてね。優しい女性に愛されれば、少しは自信がつくんじゃないかと思いまして」
「私は優しくなんかないわよ。それでもよくて?」

そういってセシリーはウィルの手に手を重ねる。

「わたしのことはセシリーと呼んで」

「あ、…はい」

ウィルはどうしていいかわからずただ頷いた。エリオットはそれを目を細めて見ている。

「可愛い人」
「…男なのに可愛いと言われるのは、本意ではありません」

ウィルは少しむっとした様子で答えた。だがそれも意に介さない様子でセシリーは微笑む。

「ウィル、彼女を家までエスコートして差し上げろ」
「…わかりました」

ウィルはエリオットに言われるまま席を立った。セシリーもエスコートされるべくして立ち上がる。

「あなたのお家はどこ?」
「エミール橋の向かいのアパートです」

今日は寮の部屋で眠りたくなかった。S-SATのほかの人間が皆そうであるように、ウィルも寮の部屋とは別にアパートを借りている。今日はそちらで眠るつもりだ。

「…そう。いいところね」
「セシリーさんは?」
「私はここから少し奥に入ったところにある一軒家よ」

二人はそのままバーを出てセシリーの家に向かって歩きだした。すっかり秋の夜霧に包まれ、街は静かに煌めいている。

「ねえ、少し遠回りしない?まっすぐ家には、帰りたくないの」
「…ええ。オレも少し歩きたい気分です」

それから公園や橋の上で色んな話をした。ウィルの生まれや育ち、エリオットのこと、いまウィル訓練で行き詰まっていることもすべてを話した。彼女はとても聞くのが上手で、ウィルが思ってもいない返答を寄越すのだ。

「あなたはきっと、素敵な男性になるわ」
「…いえ、そんな、…あなたこそ、」
「ねえウィル。セシリーって、名前で呼んで」

そういってウィルの頬を細いセシリーの手が包む。ウィルはこのとき初めて間近で彼女の瞳を見た。その瞳に宿る闇と不安に、ウィルは目を反らせない。

「セシリーさん」
「呼び捨てよ」
「…セシリー」
「うん。嬉しいわ」

そういってセシリーがウィルの唇に軽くそのふくよかな唇を当てた。触れるような軽い口付けだった。その柔らかさに吸い寄せられるようにウィルがもう一度キスをする。何度も短いキスを繰り返し、次第に夢中になっていく。それが濃厚なものになるまでに、そう時間はかからなかった。
それから二人でウィルの部屋に向かった。まだ余韻が残っているようだ。その間二人の間に殆ど会話はなく、ただしっとりと濡れた空気だけが二人の間を縫うように流れていた。

「ウィル」
「なに」
「遠慮はしないで」
「…うん」

部屋に着いてからは、そのままベッドになだれ込み獣のように互いを貪りあった。言葉はなく、ただ彼女が時折発する声とベッドの軋む音だけが部屋に響く。
彼女が見せる艶のある表情は、ウィルの中に潜んでいた欲を駆り立てるには十分だった。

 

 

【2-1】君が大人になる前に

 ※「アイデンティティーを刻む」の続きです

 

 

「今日からトロイア支部、レグルスに所属されることになったウィルフレッドだ。自己紹介を、ウィル」
「ハイ。元陸軍特殊部隊第一小隊所属、本日からS-STAトロイア支部レグルスに入隊しましたウィルフレッド・ブラッドバーンです。宜しくお願いします!」

レグルス、アンタレス、リゲル、ミラのメンバーたちが歓迎の拍手をくれる。その中には合同演習で世話になったエリオットの姿もあった。みんなが心からウィルを歓迎してくれているのを感じて、ウィルの表情にほぐれた笑いが浮かぶ。

「いいですね、最近レグルスには若いのが入らなかったから」
「そうだな」

声をかけて来たのはエリオットだった。他のメンバーも笑いながらそれを聞いている。

「しばらくは訓練生と一緒に訓練をさせる。S-SATのやり方を学んでもらわなくちゃな」
「ハイ」

レイフに言われ、ウィルに少し緊張が走る。同じ年代の訓練生たちだ。引けを取るわけにはいかないが、自信はなかった。S-SATというチームの特殊性をよく知っている。

「じゃあ、次は司令本部に挨拶に行こうか。訓練中すまないな」
「自分が引き抜いたからって、みんなに自慢して歩くんだろ?」
「それじゃ孫が可愛い親父さんじゃねえか」

レグルスのキャプテン代理、デールとそのサポートを務めるサムが笑う。その発言には思わずレイフも苦笑いを漏らした。

「とにかく、司令部に行ってくるからオペレーション頼むな」
「はいはーい」

和気あいあいとしたムードの中、ウィルは一人耐えず緊張していた。朝この制服を着るのも手が震えた程だ。

「じゃ、行くか」
「ハイ」

レイフに見抜かれたのか、肩をぽんと叩かれた。司令部に向かう廊下は長い。

「この辺りと3階より上は医療チームの研究室になってる。まぁ大学病院と研究所がくっついたようなものだと思ってくれればいい。で、あの角を曲がると司令部の要であるバックアップチームと、庶務を行うサポートチームがある」
「広いですね、覚えられるかな」
「そのうち慣れるさ。慣れるまでは誰かに連れて行ってもらえ。みんな気のいいやつだ」

ウィルは辺りを見渡しながらひとつひとつを目に焼き付けた。ここで生活をするこの先を想像しては胸の中が光で溢れるような高揚感に満たされる。

「おお、ベックフォード隊長!」

前方からいい体格の男が歩いて来たかと思うとレイフに大きく手を挙げた。

「オズウェルさん、連れて来ましたよ、ウィルです」
「そうか、君があれだけ粘った男だね」

そういってオズウェルはウィルにその大きな手を差し出した。

「オズウェル・バックランドだ。バックアップチームの指揮をとっている」
「ウィルフレッド・ブラッドバーンです。宜しくお願いします」

そういうとオズウェルがウィルの背中をトントンと前から手を回してノックした。

「若き英雄の卵。君の働きに期待しているよ」

その言葉にどきりとする。気の利いたことも言えない自分に比べ、オズウェルは一回り以上違う男にも尊敬の念をきちんと示すことができるのだ。
レイフも満足そうに微笑んでそれを見ていた。

「うちのバックアップチームには残念ながら紹介してやれないが…まぁ君をみた淑女たちは仕事に手が付かないだろうからね。悪いがここまでだ」

わざと作る困った表情もよく似合っている。

「手続きは済ませてくれましたか?」
「済ませたよ。寮の紹介はエリオットに任せておいた」
「ああ、エリオット!それなら一緒に連れて来ればよかったな。そのままオペレーションに入ると思って置いてきてしまいました。オペレーションも任せてしまったな」

驚いた表情のレイフに、オズウェルが申し訳なさそうな表情になる。この二人の雰囲気から親密さが見て取れて、ウィルは少しばかり安堵した。軍隊らしい厳しい規律はなさそうだ。あれはあれで身に馴染んだものだが、こういう雰囲気もいい。

「ウィル君も、エリオットの方が幾分打ち解けていると君から聞いたからね。悪いな、先に言っておけばよかった」
「いえ、構いません。じゃあこのまま俺は戻ります」
「ああ、悪いねここまで案内させておいて」
「とんでもない。じゃあウィル、また後でな。ではオズウェルさん、よろしくお願いします」

そういってレイフが頭を下げる。そしてそのまま、ウィルにアイコンタクトをして去ってしまった。

「よしウィル、こちらへ来なさい。エリオットに引き合わせよう」
「ハイ」

そこからエリオットと合流し、三人で寮の利用について、一日の流れやその他諸々の手続きを行った。寮やその設備、部屋の使い方からルール、そしてここでの生活の仕方など、その内容は多岐にわたる。おかげで全てを終えた頃、時刻は夕方になってしまった。エリオットが飯を奢るとオズウェルに別れを告げ、二人で食堂へ向かう。

「ホント、よく来てくれたな、ウィル」
「いえ、オレの方こそこの場にいられるのが奇跡みたいに嬉しいです」

そういって笑顔を向けるウィルに、エリオットは思わず吹き出した。

「レイフ隊長がお前を引き抜くために散々手を尽くしてたよ。断られるの怖いから打診して来てくれなんて俺に頼んだりしてな。全く、ああ見えて臆病なとこあるんだよあの人」
「知らなかったです。精神的にもとてもタフな人なのかと…」

そういうとエリオットは盛大に笑った。

「昨日もそわそわしてたよ、お前が来るって言うんでな。さ、ここ曲がったら食堂だ。先に行ってメニュー選んどけ。ちょいと電話するとこがあるんでな」
「わかりました」

申し訳ないと思いつつも電話を聞くのもためらわれて頷いた。
食堂へ向かう角を曲がった瞬間、大きな破裂音がしてウィルは思い切り目をつぶった。

「S-SATへようこそウィル!!」

目を開けたのはその言葉が耳に入ったからだ。その後もいくつかクラッカーの音が鳴って、眼前には部隊のメンバーたちが律儀に三角のコーン帽を被って出迎えてくれていた。

「え、…」
「みんな、お前が来るのを楽しみにしてたんだよ」

そういって肩をトンと叩かれ振り返るとニヤリと笑ったエリオットがいた。手に電話端末を持っていて、わざと振ってみせる仕草を見ると騙されたのだろう。

「さ、今日は隊長の奢りだからどんどん食え!」
「本当ですか!レイフ隊長、頂きます!」
「こういうのは主催者の奢りって決まってんのよ!」

アボットと、ウィルが来るまで最年少だったエリスがテンポよく掛け合う。

「お、おい…いや、まあいいか今日くらい」
「はい、お許しでましたー!みんな食べて食べてー」

ウィルの後ろからエリオットがさらに盛り上げる。部隊のメンバーたちは大はしゃぎだ。エリオットはレイフの横を通る際、ぽんとその肩を撫でて行った。それにウィルは気づかない。
食堂のテーブルはパーティ会場のように綺麗に飾られており、あちらこちらにパーティプレートが置かれている。きっとウィルが来るのを楽しみにしてくれていたというのは嘘じゃないのだろう。
ウィルの胸に、熱くこみ上げるものがある。そのウィルに寄って来たのは案の定主催者だった。

「ど、どうした…?こういうの嫌いか…?」
「いや……嬉しくて…」

レイフが少しだけ自分より背の低いウィルに視線を合わせた。ウィルは俯く。
俯いたのウィルにレイフが慌て出したのが露骨に伝わってくる。それでもウィルは顔を上げられない。満面の笑みでこの人を安心させてあげないといけないと強く思うのに、目頭が熱く涙がこみ上げてきて堪え切れない。
しかもレイフの後ろで部隊の仲間たちがこちらを気にして静かになっているのがわかる。単に騒ぎたいだけではないのがわかって余計に胸が詰まった。

「…すいません、…オレ、頑張ります。皆さん、お力を貸してください、俺強くなりますから!」
「その言葉待ってたぜ、ウィル」

飛んできた言葉はエリオットのものだった。それに続いてみんなが頷く。

「さ、今日からここがお前の居場所だ。一緒に腹を満たして、明日から訓練頑張ろうな」

レイフがそういってウィルの頭を撫でた。

「ハイ!」

ウィルはその手を受けて大きく頷く。
S-SATというウィルの人生で最も長く濃厚な時間が始まった。

 

 

夜にひかれて 003 -Darius side-

 

呼び出したはいいものの、何をしたらいいのかわからない。なんと言えばいいかも正直考えたけどいい言葉が思いつかなかった。
ただ、ブレントのあんな言葉を聞いたらいても立ってもいられなくなったんだ。


シャワールームから引き上げると、脱衣所にはダニエルとアレックスしかいなかった。二人で何やら話し込んでいて、俺とマルコは端っこで身体を拭く。
着替え終わるとさっそくブレントにメールを打った。
“どこへ行けばいい?”
返事はすぐに帰ってきた。
“寮のドア前で待ってます”
いよいよだ。鼓動が痛いくらいに早まっている。こんなに緊張していたら訓練後の疲れた身体に障るんじゃないか。マルコに別れを告げ、脱衣所を出た。

緊張が止まらない。この先数時間こうなのかと思うと気が遠くなる。
とりあえず、気持ちを伝えなければならない。

寮の前に行くとモデルかと思うくらい綺麗なポージングで車に凭れ、景色を眺めているブレントがいた。そういう姿にいちいちドキドキするんだ。心臓に悪い。まあもうずっとドキドキしててよくわからないけれど。
「ブレント…」
「…キャプテン、待ってました。行きましょう」
ブレントは俺を見るなり笑顔になる。でも瞳は笑えていなかった。俺の表情から答えを悟ったのかもしれない。

「どこに行きますか?」

助手席を開けて俺に問う。俺はそのスマートな振る舞いに胸を絞られるような思いでなんとか車に乗り込んだ。

「…すまない、決めてなかった」
「そう言うと思って店、おさえておきました」

ブレントがエンジンをかけ、車体が震える。このエンジン音も、内側からはもう聞くことがなくなるかもしれない。

「…ありがとう」
「いえ」

ブレントの横顔は硬い。真っ直ぐに前を見据えるその瞳には暗い闇が落ちていた。
 
 

そのまま無言で30分ほど車に揺られると、ひっそりとした林の中に山小屋のようなレストランがあった。ここも、建物は古いが店頭に飾られている花やライトには気を遣ってある。

「ここ、美味しいビーフシチューが食べられるんです。夏にビーフシチューなんてと思うかもしれませんが、あなたともう来ることもないかもしれないので…」

思わず隣を見るとブレントは真っ直ぐに前を見ていた。きっともう、ブレントだって答えはわかっている。
それでも、きちんと俺の言葉で聞くことを望んでいるのだろう。

「さ、行きましょう」

ブレントが車を降りる。同時に車を降りた。
店内は薄暗い。ブレントはマスターと顔見知りのようで、簡単な挨拶で注文を済ませてしまった。
席に着いてブレントと向かい合う。
アインシュタインによく似たマスターがやってきて、テーブルに食前酒を置いた。

「ブレント、久しぶりだね」
「ご無沙汰してましたね、すみません」

ブレントは少年のような顔で笑った。マスターは見た感じブレントの父親くらいの年だろう。

「この人かな、大切な人っていうのは」
「…ええ、そうです。素敵な人でしょう」
「そうだね、随分男前な人だ」

ブレントは嫌な顔ひとつせず答えていく。大切な人だなんて、そう呼ばれていいわけがない。
「ゆっくりしていってください」

俺に優しく微笑むと、マスターは行ってしまった。ブレントはその後ろ姿を目で追う。その表情がまた憂鬱そうで悲しくなった。
こうしていられるのも、もう今日のこの時間しかないのだ。

「マスターが腕をふるってくれるはずです。飯は美味しく食べましょう、ね?オレ、ここのビーフシチュー大好きで部隊に入った頃よく一人で食べに来ていたんです」

そう話すブレントの下を向いた瞼を見ていると、もしかしたら寂しかったのかもしれないと思う。別の軍から急に引き抜かれて入った場所だ、自分の居場所を作るのは孤独な作業だったに違いない。3年前、ブレントが入隊すると聞いたときのことを思い出す。エースを引き抜いてきたから楽しみにしていろと所長に言われたときは、まさかこんなことになるとは思ってもいなかった。ブレントは仲間とすぐに打ち解けたように見えたけれど、実際はとても心細かったのかもしれない。

マスターとブレントの雰囲気から言い知れぬ何かが伝わってきたのはきっと、そんな辛い心の内を支えたのがここのマスターだったからだろう。

「マスターは、オレがあなたの部隊へ来たのと同じくらいの時期にここに店を開いたんです。元々店をやっていたけど、色々あって引っ越してきたって言っていました。だから、なんか親近感湧いて」

ブレントがポツリポツリと話す言葉に耳を傾ける。

「マスターには、きっとわかっているでしょうね。キャプテンが、オレがいつも話していた例の人だってこと。それと、…この恋の結末も」

そう言ってかすかに微笑む。
俺なりに、考えて考え抜いた答えが揺らぐ。このまま、ブレントと離れてしまうのか。
もしかしたら、ブレントは俺と仕事をしてくれなくなってしまうかもしれない。ブレントの才能を見抜いた司令部からチームを持たせたいと話がきているのは知っている。それを断り続けて俺がキャプテンを務めるいまのチームに残る理由が俺の存在だなんて思い上がるつもりはない。でも、もしその理由のひとつになっていたとしたら、あの告白を断ってしまってブレントが俺の元を離れる理由をわざわざ作るのかと、そう思ってしまう。

「お待たせしました」

マスターがたくさんの皿を運んできた。一つ一つ丁寧にテーブルに並べて行く。

「マスター、こんなに?」
「だって二人ともどうせよく食べるんだろう?その体格で食べないなんて言ったら嘘だ」

店主は愛嬌のある顔で笑う。鼻の下のヒゲがよく似合っている。

「いいんだブレント、食べなさい。これは俺からの命令だ」

店主がふざけてみせる。ブレントは氷が溶けるように笑顔になった。

「…マスター、いつもありがとう」

ブレントは笑うと子犬のようだ。普段は張り詰めた糸のようなのに、笑うと急に人懐っこくなる。

「お連れ様もたくさん食べてください」

俺にまで優しく笑ってくれるマスター。二人の関係を見ていると、心の中にもやもやしたものが湧いて来るのに、マスターの人柄がよくて悪く思えないのがまたたちが悪い。
マスターは流れるような動きで赤ワインを注ぐ。まだ口もつけていない食前酒はそのままに、新しいグラスを用意してくれた。

「いただきます」

ブレントが嬉しそうに手を合わせる。あのマスターのことだ、きっと元気付けようとしてブレントの大好物ばかり用意してくれたのだろう。
そう思えば俺はブレントの好物すら知らない。

「美味しい」

ブレントが幸せそうに呟く。ブレントは背を向けているが、俺からはカウンター越しにブレントを見て微笑むマスターが見えた。

「キャプテン、食べてみてください。すごくうまいんですよ」
「…ああ」

子どもみたいにはしゃぐブレントに心をくすぐられた。泣きたくなるくらいに好きなのに、どうしてこんな結論を出したのだろう。チーム内恋愛なんて絶対ダメだ。俺は不器用だからすぐに態度に出てしまうに違いない。チームを管理する立場なのにチーム内で恋愛するなんて許されることではないだろう。

この数日間で苦しみながら考えようやく結論が出たというのに、ブレントの顔を見ているとその決意が揺らいでいく。俺たちの立場なんてどうでもいいじゃないかと囁くもう一人の俺がいる。

「キャプテン?」

ブレントが俺の顔を覗き込む。
やっぱり俺の答えは間違っていない。キャプテンとして、俺には使命がある。そして、ブレントにもまだ未来がある。

「どれも美味しいな」
「でしょう?…今日、どうしても一緒に来たくて」

ブレントが柔らかく微笑む。その目はもう流れに身を委ねている。

「そういえば今日ちょっとうちのチーム調子悪かったですね。負けてしまってすみません」
「仕方ないさ。暑かったし」

今日の実地訓練では誰の目から見てもブレントの動きが冴えなかった。怪我でもしたのかと思ったくらいだ。でも、俺からはわざわざそんなこと指摘しない。ブレントはわかっているはずだからだ。
皿の上がだいぶ片付いてきた。タイミングを見てマスターが皿を下げていく。そしてその流れのままデザートを運んできてくれた。

「お連れ様、コーヒーと紅茶どうします?」
「…コーヒーで」
「アイスでよろしいですか?」
「ええ」

ブレントには訊かない。もうマスターもわかっているのだろう。マスターはブレントに向ける表情を崩さず俺にも微笑んでくれる。俺はうまく笑えているだろうか。

「ブレント」

デザートの皿も下がり、テーブルが空いた頃。意を決してブレントを呼ぶ。

「…はい」

ブレントの表情も硬い。お互いにわかりきっているこの恋の結末を、確認する作業みたいだ。

「考えたんだが、…俺はおまえと付き合うことはできない」

ブレントが、おどおどと言葉を紡ぐ俺を見守るように見つめている。

「俺も、本当はずっと好きだった」

それまでは何ともなかったのに、急に涙が出そうになった。鼻の奥が痛い。

「…それが、キャプテンの出した答えですか?」

ブレントに優しく問われて余計にうろたえた。間違ったことを言ったかと頭の中で反芻する。

「あなたが出した答えなら、オレはそれを受け止めます」

ああ、なぜコイツはこんなにも聞き分けがいいんだろう。もう俺のことなんてどうでもよかったのかと、邪推してしまう。

「オレは、あなたがオレを好きだと言ってくれたその思い出だけで十分ですから」

堪えきれなかった。目の前のブレントが霞んで行く。俺が本当に手に入れたい未来はどれだ。こんなにも思っているのに、それがお互い同じだとわかっているのに、なぜ離れなければならないのだろう。

「お互いの立場もある、それにチームのことだってまだ心配だ。俺はキャプテンとしてやるべきことがあると思っている」

ブレントの目も赤い。そんなのを見たら余計に悲しくなってしまう。

「…知ってます。キャプテンが何を考えてそういう結論を出したのかくらい、わかりますとも」

ブレントの頬を涙が伝う。それも気にしない素振りでブレントが俺の目を見つめる。

「でも、だからこそ一緒にいたいんです。一緒にチームを作っていきたいんです。あなたが何か悩んだとき、一番に相談できる相手でありたい」

もう、限界だった。結局、俺が何日もかかって出した答えはこんなにも簡単に、ブレントに覆されてしまう。

「キャプテン、出ましょうか」

ブレントが立ち上がる。マスターに耳打ちして、ブレントはテーブルまで戻ってくると俺の腕を引っ張って外に出た。
夜は深まり、気温もだいぶ下がっていた。ブレントが前を歩く。

「もう一度、言わせてください」

ブレントが振り返らずに言う。

「オレにはキャプテン、あなたが必要なんです。あなたにオレは必要ありませんか?」

そんな聞き方はズルイと思った。俺がなんて答えるか、わかっているはずなのに。
ブレントが急に振り返って俺の頬に手を当てた。

「将来のこととか、余計なことを考えているなら、そんなもの捨ててくださいね」

やっぱりブレントにはかなわない。
少しずつブレントの顔が近付いてくる。目を閉じると、控えめに唇が触れた。

「キャプテン、一緒に、いてくれますよね?」

首を横に振れなかった。受け入れてしまったのだ、もうこれ以上のことはいいだろう。
かろうじて浅く頷くと、ブレントが微笑んだ。

「あなたには、オレが必要だと思いますよ、キャプテン」

得意げに笑う。その通りだ。
ブレントが俺の頭を優しく引き寄せた。今度は確かめるように、唇を押し当てる。

「これから、よろしくお願いしますね」

深く頷くと、お互いちょっと笑った。でも、目には涙が溜まっている。泣くのを我慢していたのはお互い様のようだ。

「愛してます、キャプテン」
「ん、俺もだ」

俺がそう言うと、ブレントは満足げに頷いてキスをしてきた。