【12】フレイム 2003.3.16 -Piers side-
”ピアーズへ
この手紙が届く頃には、ヨーロッパから帰ってきているでしょうか。
俺がこの先、第二のライフステージを過ごすことになるドイツは、お前のそのプランに含まれていたかな。
俺はこれから、親父の学んだ大学に通うことになる。
留学という名目だが、おそらくそのままその大学病院で勤務することになるから、次そっちで腰を落ち着けられるのは当分先だ、もしかしたら10年以上かかるかもしれない。
だから俺の人生において出会えてよかったと思える友人の一人であるピアーズへ、こうして柄にもなく手紙を書いてみている。
筆を執った理由はそれともう一つ。
お前に謝りたいことがあるんだ。
俺は出会ってからこれまでの約5年間、お前にたくさんの嘘をついてきた。
たとえばこの間の電話だってそうだ。火曜日、俺はドイツ行きの便に乗った。それまでの間、親父の助手や教授の手伝いなんかしてないよ。ずっとドイツで新居探しと、学のための論文を書いていた。
ずっとお前に本当のことを言おうか迷ってたんだ。でも、俺がいなくても寂しくないって言葉を聞けたから、俺は安心してドイツに発てます。
お前が好きそうな写真をいくつか入れておくよ。もし気に入ってくれたなら、部屋にでも飾ってやってくれ。
また、感想を聞かせてくれると嬉しいです。
お前の親友、クレイグより”
ピアーズの胸がどくんどくんと激しく脈打った。そして無意識に、電話端末へ手を伸ばしダイヤルする。
二三度ベルが鳴った後、それは留守番電話へと切り替わった。
「…もしもし、オレ、…ピアーズだけど。あんな手紙だけ寄越すなんてお前何考えてんの…?…いや、…ごめん。…電話ください。…待ってる」
歯切れの悪くなった自分の声が耳に残る。すぐに電話を切った。そしてもう一度手紙を見る。便箋と一緒に封筒の底に落ちていたのは、4枚の美しい写真だった。
”クレイグ・バラクロフ
結局電話をくれなかったこと、オレは少し恨んでいます。
忙しいなら無理にとは言わないけど、せめて一言お前の言葉で聞きたかった。
お前がいなくなって一ヶ月半が経つから、オレの方は少し慣れたよ。毎日のように飯を作ってくれたり一緒にジムに行ったりする奴がいなくなったのは、正直言うとかなり寂しいです。
ジムの受付の人にも聞かれたよ。コンラッドにも、オレ以外のみんなは見送りに行ったことを聞いた。みんなよりも仲がいいと思っていたのはオレの自惚れだったんだな”
そこまで書いてピアーズは前髪をくしゃりと掴んだ。こんな風に恨みつらみを書いたところで、クレイグがここに戻ってくることはないとわかっているのに、何の相談も
話もなしにドイツへ渡ったクレイグがどうしても許せなかった。
春が嫌いになりそうだ。
ーーー高校の頃の担任が結婚するというので先週、高校に戻った時。
コンラッドたちと一緒に屋上に登った時にはさすがに涙が出そうになった。クレイグと初めて会話を交わした場所。
コンラッドは何かを察したのかエルバートとユージンを連れて屋上を降りてくれた。
桜の花とその香りがピアーズを過去へと誘う。その瞬間、とてつもなくクレイグへの思いを自覚した。溢れ出して止められない。
どうしたって諦められない、もう一生会えないかもしれない。クレイグは向こうで素敵な女性と出会い、いやもしくは大学を卒業しシェリルを娶るかもしれないし、ピアーズが思っていても、クレイグに会う気がなければもう会えない。
いつでも連絡を取れるはずだった携帯の番号も頼りにならなかったし、手紙に記されていたのは近くの郵便局の名前。自宅の住所ではなかった。
ドイツへは行ったことがないし、どうしたって運命を信じられないピアーズにとってはもう一度クレイグに会うのは星を掴むほどに難しいことだと感じていた。
花びらが舞い上がる。青い空に薄紅色の桜の花びらは軽快で、何にも縛られていない。
なのに自分は、こうしてクレイグへの思いに縛られながら、それでも飛び立ちクレイグに会いに行くこともできずただこうして地面にうずくまっているのだ。
惨めな思いと、それでもクレイグを思うのをやめられない心の叫びが、ピアーズをより苦しめる。
今までずっと報われない恋だとわかっていると思っていた。それなのにどうしてかクレイグが優しくするから、時には自惚れてみたり、その優しさに甘えたりしてきた。それは今思うと、幸せな恋だったのだろう。そばにいてくれること、背を向けずに手を伸ばしてくれること、微笑みかけてくれること、心配して夜に駆けつけてくれること、それはすべてとてもかけがえないものだった。なぜ今までそれに気づかずにいたのだろう。
本当に報われないのは、背を向けられてしまった自分だ。もう会うことのできないという事実だ。
「ピアーズ。大丈夫か」
気がつかないうちに、遠慮がちな笑みを浮かべたコンラッドが自分の肩に触れていた。
「…悪い…」
「いや。俺の胸で良ければ貸すんだけど」
そういって柔らかく微笑む。冗談にしてはタチが悪い。そんな風にからかうのはクレイグだけだったから。
何も言えなくなってしまったピアーズを見て、コンラッドが困った風にため息をついた。
「あいつ、最後までピアーズのこと気にしてたよ。俺は言ったら見送りにも来てくれるから言ってみろって言ったんだけど、あいつそういうところ頑固だろ。たぶん、ピアーズには最後にかっこいいところ見せたかっただけだ」
コンラッドが優しい口調で告げる。
あのときクレイグが言ってくれたなら、自分は何をもキャンセルして見送りに行ったはずだ。それでも、今のような心の靄に悩まされることには変わりない。だから見送りのことはもうどうでもよかった。それよりも、先に何も言わずに自分の前を去ったこと。
自分がその程度だったと言われたら頷くしかない。泣いて泣いて、毒をすべて吐き出したら時間が癒してくれるのを待っただろう。
それなのに今は、吐き出せない嫌な毒が、指に刺さって抜けない棘のようにいつまでもピアーズの心を蝕んでいた。
「手紙、来たんじゃないか。必ず書くって言ってたから。それに返事してみればいいんじゃないかな。きっと喜ぶよ」
コンラッドは隣で静かに変わらず柔和な笑みをたたえている。
きっとピアーズを不安にさせないためだ。そして向こう側の手には、キャンディーを握っているのが見えた。子どもじゃないと主張しても、中学の頃からピアーズをあやす時のコンラッドの常套手段だった。
「…コンラッド、気付いてたのか」
「そりゃあ、ね。俺そういうのには鋭いんです」
そういって軽く笑って見せた。コンラッドには何も隠せない。でも、だからこそ安心してこういうときに隣にいてもらえる。
「あいつこれからあっちの大学編入して院までいって、そのまま向こうの病院で働くって言ってた。たぶん世話になった親父さんや周りの人に報いるためだと思う。…でも、そういうの全部消化しきったら、その日のうちにこっちに戻ってくる気がするよ、俺は」
何の根拠もないのに、コンラッドは自信満々にそう言って空を仰いだ。
「お前はもうクレイグに一生会えないかもしれないって悲嘆に暮れてるかもしれないけど、あいつはそうじゃないかもしれない。ほら、しょげてる暇はないんじゃないか。手元にないなら掴みに行けばいい」ーーー
あのときコンラッドに背中を押され、一度は心を決めたと思った。
それなのに、少しでも精神が不安定になるとこうして筆をとってみても中々送れるものにならないのがジレンマだった。
気持ちを知られるのが怖いのか、いや違う、その上で拒否されるのが一番怖い。けれどこうして何もできないままぐずぐずしている時間もない。この恋の本当の終わりをみるためには、拒否されるしかなかった。
”クレイグ・バラクロフ
ドイツでの生活には慣れましたか。
オレは先週、担任のマーカス先生の結婚式とそのパーティに行きました。たぶん便りは届いてると思う。
高校の屋上にのぼって、初めてお前と会った時のことを思い出したよ。
覚えてるかな、覚えてくれていたら嬉しいんだけど。
前留守電残したんだけど、聞いてくれましたか。
あれから連絡がないのは、オレとの縁を切りたいか、それとも何かの事情なのかはわからないけど、オレはお前とまだ親友だと思ってる。
だから、こうしていま手紙を書いてる。
写真、綺麗でした。
本当はこの目で見たいけど、それよりクレイグがくれる写真の方がきっと、綺麗なんだろうな。
また、よかったら送ってください。
ピアーズ”
当たり障りのないことしか書けない自分を恨む。
けれど、きちんと連絡が欲しいことは伝えた、まだ繋がっていたいと恨み言を言わずに書けた。それだけでも上出来だ。
最初に書いた手紙を丸め、ピアーズはペンをテーブルに置いた。
これを送って、答えを待とう。
クレイグの答えを聞くまでもうジタバタしないと決めた。そしてこの恋に、決着をつける。
ピアーズは封を閉じ、切手を貼って席を立った。